2019年02月14日

『若い詩人の肖像』A/4

 小樽中学の高学年時代から小樽高等商業学校時代、小樽中学の教員時代、そして東京商科大学一年生までの自伝小説である。面白かった。性的なストーリーはもちろんあるが(ただし、描写は実にあいまい)、詩人を志す青年の欲望と不安の日々が主なテーマである。
 林芙美子の『放浪記』と比較してみると、実にその違いが明確化されて、面白い。
 『放浪記』は、林フミコが大正11(1922)年から大正15(1926)年のおよそ5年間に書いた日記に基づいての自伝小説である。フミコ(のちに「芙美子」)、満で19歳から23歳の日記である。
 伊藤整の『若い詩人の肖像』は、大正11(1922)年から昭和3(1928)年のおよそ7年間、数えで18歳から24歳までのことである。ほとんど、時代も年齢も重なる。しかし、まったく違う。(2321)
posted by 矢島正見 at 02:08| 我流雑筆

2019年02月12日

『若い詩人の肖像』@/4

 伊藤整の『若い詩人の肖像』を読んだ。
 有名な作家であり文芸評論家ではあるが、伊藤整の作品は詩も小説も評論も読んだことがなかった。『チャタレイ夫人の恋人』の訳者であり、『女性に関する十二章』の筆者ということくらいしか知らなかった。
 『チャタレイ夫人の恋人』は以前途中まで読んだが、最後まで読んだという記憶はない。忙しくなって途中で止めたのかもしれないが、思ったほどエロくはなかったということが止めた第一の理由だと思う。この小説のどこが猥褻なのか分からなかった。まさに、「猥褻」などという刑法概念は時代の産物である。
 しかし、井上章一の『愛の空間』で、伊藤整の『若い詩人の肖像』が取り上げられていたのは、はっきりと記憶している。そこでは、小樽高等商業学校の学生だった伊藤整が女子高生と性交する場が、夏から秋にかけては野外にいくらでもあったのだが、冬になると雪が積もり寒くて場所がなくなり、仕方なく蕎麦屋の二階でやった、ということが書かれているのである。小樽という地域、そして蕎麦屋の二階と、読んでいて実に納得した。(2320)
posted by 矢島正見 at 22:21| 我流雑筆

2019年02月09日

怪我・続報

 随分と口の腫れはひいてきた。口の中の傷も治りだしてきた。痛みも和らいできた。
 しかし、未だに、上唇の裏側の傷はパカっと開き、痛み、上の前歯2本は舌でて触るだけでも痛い。もちろん、噛むなどということはタブーである。柔らかいものをそっと口の奥に運んで食べている。(2319)
posted by 矢島正見 at 23:30| 我流雑筆

寒い

 雪は大したことなかった。しかし、寒い。今日は本当に寒い。
 10時に目が覚めたのであるが、12時まで布団の中にいた。布団の中が一番いい。(2318)
posted by 矢島正見 at 14:39| 我流雑筆

2019年02月04日

『侍はこわい』

 司馬遼太郎『侍はこわい』を読んだ。時代劇8本からなる短編集である。
 8本ともに初期の作品であり、そして8本ともに秀作である。司馬遼太郎と言えば長編小説というイメージが強いが、短編もすごい。
 気楽に読めて、面白く、味わいのある作品である。絶品と言ってもよい。
 こんなことを想っていると、戦後日本文学の頂点は昭和20年代から40年代までだったのではないかと思えてくる。爺の昔を懐かしむたわごとではないような気がする。(2317)
posted by 矢島正見 at 23:23| 我流雑筆

2019年02月03日

怪我

 行きつけのカラオケスナックに行った。今年になって初めてである。スナックの客は初めから終わりまで、私一人。
 ふるーい唄を歌い、飲む。ボトルが今少しでなくなる。ビンの底に1センチ、いや7−8ミリ程度残っている。
 そこで、これをすべて飲んで、新しいボトルをキープすることにした。しかし、それがいけなかった。飲み過ぎた。
 店を出たのは覚えている。出てすぐに、転んだようだ。通りかかった40歳くらいの男性に抱き起こされ、店からママも出て来た。
 帰りの方向が同じというので、その男性と一緒に途中まで帰った。お礼を言って名前を聞いたと思うのだが、顔も名前もまったく覚えていない。たしか、体格の良い方だった。
 家にたどり着き、そして、寝たようだ。朝起きて、驚いた。上唇がはれ上がり、顔が血だらけである。メガネは割れてはいなかったが、ひん曲がっていた。前歯が痛い。一本、ややぐらぐらする。右ひざを見たら、そこも擦りむけて血がにじんでいる。
 口が痛いので、思うように食べられない。柔らかいものを、そっと口の奥に運び、食べている。うどんだとか、おじやだとか、豆腐だとかがいい。熱い飲み物も、酸っぱい飲み物もダメ。(2316)
posted by 矢島正見 at 14:34| 我流雑筆

J組クラス会

 久しぶりに高校のクラス会に行ってきた。
 みんなじじい・ばばあになってしまっているが、集まった連中はさすがに元気で若い。そして男も女もよく食べる。私は食べ過ぎて、帰る途中から下痢を起こしてしまった。(2315)
posted by 矢島正見 at 00:28| 我流雑筆

2019年01月25日

『はじめて学ぶLGBT―基礎からトレンドまで』

 石田仁『はじめて学ぶLGBT―基礎からトレンドまで』(ナツメ社)を読んだ。以下は、その感想を著者の石田氏宛に書いたという想定での文章である。

石田仁様
お送りいただいた『はじめて学ぶLGBT―基礎からトレンドまで』(ナツメ社)を拝読させていただきました。
読後の率直な感想として、アンビバレントな複雑な心境であります。

名著と言ってよいと思います。実によくできております。
内容的にみても充実しており、体系化されており、申し分ありませし、また、しっかりとして膨大な文献提示からみても、これは専門書・学術書です。
専門書・学術書としての価値は十分にあります。

しかし、見開き2頁での解説、「です・ます」調の文体、漫画の挿入、イラスト入りの図解と、そして、よく言えば分かりやすいレイアウトの紙面構成、悪く言えば週刊誌的なレイアウトの紙面構成。
どう考えても、初心者向け・一般者向けの、いわゆる「売れる本」です。

こうしたことはよくあることなのですが、本書ではそのギャップが激しい、と言わざるを得ません。
専門書・学術書にすれば、これだけの豊富な内容であるならば、2〜3冊ほどは出来上がります。
まずそれを出しておいて、そのあとで、初心者向け・一般者向けに、もっと手抜きをして一冊にまとめて出せばよいと思うのですが…。
私から言わせれば、もったいない限りですが、そうもいかないところに、多様な複雑なご事情があったに違いないと推察します。

しかし、とにかく、研究者であっても読むべき本であることは確かです。
セクシュアリティに関心のある方の必読書です。
1600円では安すぎる本です。
 矢島正見(2314)
posted by 矢島正見 at 21:54| 我流雑筆

2019年01月22日

インフルエンザそして熱

 2歳の孫がインフルエンザA型に罹った。数日熱を出してようやく下がり出したのだが、翌日40度5分の高熱を発した。病院では、インフルエンザの熱ではなく、扁桃腺の熱とのこと。
 扁桃腺の熱も下がり出したころ、今度はばあばが発熱した。インフルエンザA型とのこと。数日後、ようやくばあばが治りだしたころ、今度はじいじが発熱した。
 じいじの場合は、頭がふらふらして、午後になると突然眠くなったので、既にその頃から熱を出していたのかもしれない。ばあばがインフルエンザA型に罹ったということで、計ってみたら熱があったということ。
 翌日病院に行ってみたら、インフルエンザA型とのこと。微熱があり、咳が出て、のどが痛い。(2313)
posted by 矢島正見 at 15:22| 我流雑筆

2019年01月21日

戦後横綱ベスト10

 ついでに、私が選んだ戦後横綱ベスト10を掲示しておく。
@白鵬 A大鵬 B千代の富士 C朝青龍 D北の湖 E貴乃花 F栃錦 G若乃花 H輪島 I日馬富士(*)と、こんなところである。
 (*)日馬富士はあのような怪奇な事件がなければ、あと3回ほどは優勝したであろう。
 戦前の昭和を入れたら、双葉山と羽黒山が入る。
 なお、これはあくまでも横綱としてのベスト10であり、引退後の部屋の親方とか相撲協会の役員としての評価ではない。(2312)
posted by 矢島正見 at 11:55| 我流雑筆

2019年01月19日

稀勢の里の引退

 稀勢の里の引退は遅すぎた。満身創痍での引退であった。ここまで引き延ばしたのは相撲協会であると私は推測している。日本人の横綱がいなくなってはという伝統主義意識であり、相撲の人気が落ちるのではという商業主義意識である。
 問題を起こした横綱に対しては厳しく対応するというのに…。いや、それも日本の力士ではなかったからという理由が多分にあったのではないか。
 日本人は(少なくとも相撲ファンは)、相撲に関しては愛国主義になるようで、「日本の横綱」ということを特別視していた。だからこそ、伝統主義と商業主義の公益財団法人である相撲協会が、引退を先に伸ばし続けたのであろう。
 二場所連続休業した後、三場所目も休業せざるを得ないと分かった時点での引退が、最も理想的であった。
 稀勢の里にとっては、引退時の発言とは正反対の悔しさに満ちた意識だったのではないだろうか。(2311)
posted by 矢島正見 at 18:12| 我流雑筆

2019年01月17日

『放浪記』G/8(完)

 なお、私としては、放浪記以前をもっと知りたい。『放浪記』には、「第一部」の前に「放浪記以前」という項がある。ごく簡単な記述なのだが、それが面白い。8歳までのフミコを知りたいし、直方時代のフミコをもっと知りたいし、尾道時代のフミコを知りたい。そして、最初の男に捨てられるまでのフミコを知りたい。
 解説では、それに関しては、『風琴と魚の町』という小説にて書かれているということなので、暇があったら、それを読むことにする。
 なお、尾道では、フミコの通った学校や林芙美子記念館に行ったことがある。ふるさとのないフミコにとって、ここが故郷だったのであろう。
 林芙美子は自らを不美人と言っている。今少し美しく生まれていたら、と嘆いている。しかし、記念館での写真を見ると、確かに小太りであり美人とは言えないが、決してブスではない。(2310)
posted by 矢島正見 at 22:17| 我流雑筆

2019年01月15日

『放浪記』F/8

 親も哀れである。行商の男・ヨソ者と結婚したということで母はふるさとを追われる。以来、夫婦は九州各地を行商する。フミコが生まれたのは下関である。よって、フミコの故郷は下関ということなのだが、フミコにふるさとはない。
 定住し商売が繁盛した実父は女(流れ芸者)を囲う。そこで母親は離婚する。それを同情した番頭と母はフミコが8歳の時に再婚する。男は母より20歳年下であった。20歳も年下の男が子持ちの女とよく結婚したものだと、不思議である。男は母よりもフミコに近い年齢のはずだ。
 実母と養父はしばらく福岡の炭鉱の町(直方)を拠点に、遠賀川の炭坑の社宅や坑夫小屋に商いに出かけた。フミコは学校を辞め、その頃から自ら行商を始める。フミコ自身の行商人生の始まりである。フミコの少女時代はこの地で始まる。
 フミコ13歳の時、直方から親子三人は尾道に行く。この尾道がフミコの青春時代である。2年遅れて小学校を卒業し、尾道の女学校(四年制)に入り、卒業する(フミコ15歳〜19歳)。学費のすべては自分で稼いでの学業生活だったという。この時代での頑張りがなかったら、後の「林芙美子」は存在しなかったであろう。
 女学校卒業後、フミコは男を追って東京へ行く。ここで、親と別の生活が始まる。
 夫婦二人は、ともに行商の旅に出たり、互いに分かれて別の地を行商したり、時には尾道で二人で暮らし、時にはフミコを頼って東京にやってくる。真冬、三人で一つの布団で寝る。そんな時、フミコは親への殺意すら起こす。
 養父は小心者。馬鹿正直で生活力がなく、稼いだ金はばくちで使い果たす。実母はそんな養父に愛想をつかしながら別れられない。20歳も若い夫も分かれようとはしない。(2309)
posted by 矢島正見 at 23:49| 我流雑筆

2019年01月11日

『放浪記』E/8

 ようやく、いくらかまともな画家の男と結婚する。ここで、落ち着いた生活を得たフミコは芙美子となり、26歳にて『放浪記』を出す。
 一躍人気作家となる。これが30歳まで売れない詩や童話を書き続けていたら、「林フミコ」はいても「林芙美子」はいなかったであろう。
 26歳まで、よく持続したとはいえるが、その持続こそが惨めな青春をつくった。詩人になりたい、作家になりたいという期待が、彼女を絶望的な人生にさせている。
 詩人になるという野望を捨てて、本など読まずに、つまらぬ男に期待を抱かず、食べること一途に、まじめに働いていたら、そして、下宿を替えずに、返す当てのない借金をしてまで岡山や尾道に衝動的に帰ることなく、職を安定させて、精一杯働いていたならば、結構楽な暮らしをしていられたはずである。女学校出で、読み書きができる才女なのだから。
 好いてくれるしっかり者の男を、好みではないと捨てなければ、結構楽な暮らしをしていられたはずである。
 野心を抱いての生活、一か八かの人生行路、こうした生き方では、実家が裕福でない限り、もしくは躰を売らない限り、辛いのは当然である。幸いにしてフミコは躰が丈夫だった。それが彼女の成功の最大の要因だったのかもしれない。病弱であったなら、「林芙美子」は存在しなかったであろう。26歳まで、体力と精神力がもったことで「林フミコ」は「林芙美子」に変身した。(2308)
posted by 矢島正見 at 11:30| 我流雑筆

2019年01月07日

『放浪記』D/8

 尾道の女学校を卒業すると、好きな男が明治大学に行ったということで、フミコも男を追って東京に出る(19歳)。そして東京で同棲生活を始める。
 しかし、一年後に卒業した男は因島の実家に帰って行く。一年でフミコは捨てられたわけである。行商の親・住所不定の親をもつ女との結婚を男の親が許さなかったのである。息子を東京に留学させるほどの家である。当時では、当然と言えば当然である。
 しかし、フミコは、その後、因島に男を尋ねたり、男に金を無心したりと、うじうじとした未練心が続く。
 男に捨てられたフミコは、その一年後には別の男(俳優)と同棲生活を始める。さらに別れて、詩人の男と同棲する。そこでは、男の暴力に耐え忍んでの生活となる。
 母親同様にフミコも男運が悪い。居住の放浪、職の放浪、男の放浪、そして人生の放浪である。(2307)
posted by 矢島正見 at 17:55| 我流雑筆