2019年05月23日

『監視カメラと閉鎖する共同体』


 『監視カメラと閉鎖する共同体―敵対性と排除の社会学―』を読む。社会学の書と犯罪学の書がいかに異なるか、この本でよくわかる。完全に社会学の書である。したがって、社会学として評価する場合と犯罪学として評価する場合では大きく異なる。
 監視カメラに関して論考されてはいても、監視カメラは考察に際しての素材であり、問題提起は閉鎖する共同体であり、敵対性と排除の社会・時代の考察である。(2351)
posted by 矢島正見 at 12:30| 我流雑筆

2019年05月18日

愚劣房三遍―唐木順三C

 ついでに、愚劣房三遍の狂歌を載せておく。

「現世に 衣食住あり 女あり さすれば老いも 楽しかりけり」
「月よりも 花よりもなお わが心 酒よ酒酒 酒酒酒よ」
「冬の夜は 寒さこらえて 発したる 布団の中の 屁の臭さかな」
「美しく スリムでボインで 八頭身 こんな女の どこがいいのか」
「ネエちゃんは もんぺ姿が よく似合う どこか漂う 肥しの匂い」
「くだらない ことを求めて 老いてゆく くだるこの世の むなしかりけば」
「色欲を 有常とすれども 得ざれずば 妄想のみにて 生きるむなしさ」
「色欲を 無常とすれば わずらわず 妄想もなく 生きるむなしさ」
「老境に 至りて未だ 論を書く この執念は いずこから来る」
「自分史を 書いてみて驚いた 32までで 400枚」
「熱を出し 薬を飲んだら 眠くなり 午後はうたた寝 これもまたよし」
「小便が 出ればあそこは いいんです と言うた人の 今はいずこか」
「巨砲を 撃つこともなく 沈みゆく 戦艦大和 我も同じく」
「星もなく すさびもなくて はでやかな 日本の街の 秋の夕暮れ」
「雅数寄(みやびすき) 風狂風流 すさびさび 無常に漂い 粋に溺れる」

さすがに愚劣房三遍である。(2350)
posted by 矢島正見 at 13:25| 我流雑筆

2019年05月13日

ご報告

 2019年5月11日(土)かながわサイエンスパークにて、「矢島先生を囲む会」が盛大に行われました。第T部の講義には、90名近い方が参加しました。そして、第U部の懇親会にも70名以上の方が参加し、大いに盛り上がりました。
 久しぶりにお会いしましたが、そして中には20年以上お会いすることがなかった方もいましたが、それでも顔は覚えておりました(すみません、名前は忘れてしまっていましたが)。まだまだ、ボケていないと確信いたしました。

 次回は、喜寿(77歳)に行うことになりましたが、各卒業年度のゼミ卒OBOG生の個別懇親会(ウハウハ会)は、随時自由勝手に行うということになりました。中心になる人がいる年度の開催は大いに盛り上がることと思います。
 今回都合が悪く参加することが出来なかった方、連絡が届かなかった方等々、個別の集まりにどうかご参加ください。大いに期待しております。

 ということで、「我流雑筆」での「矢島先生を囲む会」のお知らせは、会終了後には削除する予定でしたが、記録として残すことにして、通し番号を付して、残しておくことにしました。
 今朝から、開催時に写した写真のメールが、続々と届いてきております。有難いことです。私のメルアドがわからない場合には、「一般財団法人 青少年問題研究会」にお問い合わせください。もしくは、法人に写真をお送りください。

 ご参加してくださった皆様、改めて御礼申し上げます。これからもお付き合いのほど、どうかよろしくお願い申し上げます。(2349)
posted by 矢島正見 at 02:57| 我流雑筆

2019年05月08日

矢島先生を囲む会 プログラム

矢島先生を囲む会 プログラム

日 時  2019年5月11日(土) 13時受付開始
会 場  かながわサイエンスパーク(神奈川県川崎市高津区坂戸3-2-1)
      第1部 7階709会議室 ※708会議室から変更しました
 第2部 3階KSPギャラリー(西棟)

◎受付は13時から開始します(709会議室)
 会費 講 義: 3,000円(資料代込)
懇親会: 7,000円 ※お子様(ドリンク料金1,000円。未就学児無料)
※講義のみまたは懇親会のみ参加の方は、お釣りのないようにご用意ください。
当日は約70〜80人の参加が見込まれます。ご協力くださいますようお願い致します。
懇親会のみ参加の方は、懇親会会場において受付を致します。

開会の挨拶
第1部:最終講義
13時30分〜14時30分
前半の部:専門研究編「犯罪社会学の裏街道をゆく―逸脱した逸脱の社会学」
14時40分〜15時40分
後半の部:自分史編「なぜ私は非行に走らなかったのか―幼少期の自分史」
第2部:懇親会(3階KSPギャラリー)
16時00分〜18時00分

※5月8日16時にて、第1部・第2部ともに、申し込みを締め切らせていただきました。
※懇親会終了後の2次会につきましては、同ホテル内に会場を用意しております。
事前予約は不要です。

かながわサイエンスパーク  http://www.ksp.or.jp/access/
東急田園都市線・大井町線 溝の口駅/JR南武線 武蔵溝ノ口駅 徒歩約15分
または溝の口駅北口バスターミナル9番乗り場から、KSP行き無料シャトルバスにて約5分(2348)
posted by 矢島正見 at 16:05| 我流雑筆

2019年05月06日

智眞房一遍―唐木順三B

 智眞房一遍(一遍上人)の和歌を掲載しておく。私の好きな歌である。(ただし、読みやすく五七五七七で区切って表記する)
「こころより こころをえんと こころえて 心にまよふ こころなりけり」
「心をば こころの怨と こころえて 心なきを こころとはせよ」
「身をすつる すつる心を すてつれば おもひなき世に すみ染めの袖」
「さけばさき ちればおのれと 散る花の ことわりにこそ 身はなりにけり」
「花は色 月は光と ながむれば こころはものを おもはざりけり」
「はねばはね 踊らばをどれ 春駒の のりの道をば しる人ぞしる」
「となふれば 佛もわれも なかりけり 南無阿弥陀佛の 聲ばかりして」
「すてやらで こころと世をば 嘆きけり 野にも山にも すまれける身を」
「よにふれば やがて消えゆく 淡雪の 身にしられたる 春の雪かな」
「津の國の なにはの浦を いでしより よしあしもなき 里にこそすめ」
「いまははや 見えず見もせず 色はいろ いろなるいろぞ 色はいろなる」(2347)
posted by 矢島正見 at 12:07| 我流雑筆

2019年05月02日

日本芸術文化史概略メモ―唐木順三A

 和歌では「山里」はよく出てくる。しかし「浜辺」はあまり見かけない。
「川」は出てくが、「池」や「沼」や「湖」は見かけない。「秋」と「春」はよく出てくるが、「冬」と「夏」は少ない。「農民」も「漁民」も「山の民」も見かけない。もちろん盗賊・海賊の歌も合戦・内乱(殺し合い)の歌もない。
 これにて、どのような階層のどのような文化であったかが、よくわかる。「万葉集」で「読み人知らず」なんてのが出てくる。それは、貴族(公家)や僧侶ではないようだが、流浪の民や貧民層ではないであろう。おそらく地方の豪族の子弟や関係者であろう。大宰府まで主人に付き従うことが出来るほどの位置にいる者である。
 防人の句はあっても新羅・百済の句はない。既に半島とは断絶していたことで理解できる。それは日本語と朝鮮語の断絶であり、文化・芸術の断絶であり、万葉集・万葉かなの成立である。
 出羽・奥羽の句はあるのだろうか。「出羽」の真冬の豪雪の歌があったら面白い。
「雪荒(ゆきすさ)び 躰が荒び 死が荒ぶ これがまことの 荒びというもの」と書いた歌詠み人がいたとしたら、その後が知りたい。
 また、「雪荒(ゆきすさ)び 躰が荒び 死が荒ぶ 雅(みやび)も数寄(すき)も 全て凍えて」と、凍死した歌詠み人の書き残した和歌があったらすごい。(2346)
posted by 矢島正見 at 18:03| 我流雑筆

2019年04月29日

日本芸術文化史概略メモ―唐木順三@

(随分と以前に書いたもので、未掲載であるものを掲載します。「囲む会」のお知らせは、今後も随時掲載します。)

 少しばかし、唐木順三に熱中してしまった。しばらくは、唐木順三から離れることにする。そこで、まとめというわけではないが、メモを書いてみた。

「みやび(雅)」…平安王朝文化…芸術地上主義・絢爛豪華・優雅。典型:藤原定家。
「すき(数寄)」…平安末期・鎌倉文化…風流・枯れた美・籠もりの生。典型:鴨長明。
「すさび(荒び)」…鎌倉末期・室町南北朝文化…無常・漂流・捨ての生。典型:一遍、西行。兼好法師。
「さび(寂)」…室町後期・戦国・江戸初期文化…創造的無、すさびの芸術化。典型:世阿弥、芭蕉。
「わび(侘)」…戦国後期・江戸初期文化…反雅。反権力。対抗文化。巨大対狭小・派手対地味・豊富対欠乏・豪奢対謙虚。典型:豊臣秀吉対千利休、狩野永徳対長谷川等伯。
「いき(粋)」…江戸文化…町人俗文化・町人文化の雅(みやび)化。「憂世」から「浮世」。浮世絵、遊郭。
 私としては、「すき(数寄)」と「いき(粋)」の人生を好む。「みやび」は堅っ苦しいし、身分と金が必要。そんな世界はご免被る。「すさび」は引き付けられるが、野垂れ死にの覚悟がいる。生活に困らない優雅なすさび、ならばよいのだが。「わび」は芸術的野心家の反体制的気取りだ。いかにも「芸術家」といった過剰自意識が気に食わない。(2345)
posted by 矢島正見 at 22:19| 我流雑筆

2019年04月18日

「矢島正見先生を囲む会」ご案内 第2弾

「矢島正見先生を囲む会」ご案内 第2弾

服装は普段着でお越しください。もちろん、「目立ちたい」という方は別ですが。コスプレでもなんでも結構です。

第1弾のお知らせでは、締め切りは既に過ぎてしまっていますが、24日まで、締め切りは延長されました。
 なお、それ以降でも、歓迎します。

大学の講義同様に、遅刻・早退は自由です。遅刻の場合も早退の場合も、私を見て二コリと笑いながら、ご入場・ご退場お願いします。

開催直前まで、この「我流雑筆」(また「伝助」)にて、ご連絡いたしますので、これからはしばらくの間、チェックを入れてください。(2344)
posted by 矢島正見 at 12:18| 我流雑筆

2019年04月12日

「矢島正見先生を囲む会」のご案内

「矢島正見先生を囲む会」のご案内

矢島ゼミ卒業生のみなさまへ

長年にわたって中央大学で教鞭をとられた矢島正見先生が、昨年ご退職されました。
つきましては先生の最終講義と、先生の学恩に対して感謝申し上げる場を持ちたいと有志よりご相談させていただいたところ、先生からご快諾をいただき、このたび「囲む会」を開催する運びとなりました。
詳細は、以下の通りです。万障お繰り合わせの上、ぜひご参加ください。

<日時> 2019年5月11日(土)13時20分開始〜18時
<会場> かながわサイエンスパーク 7階708会議室
     http://www.ksp.or.jp/access/
     東急田園都市線・大井町線 溝の口駅/JR南武線 武蔵溝ノ口駅 徒歩約15分
     または溝の口駅北口バスターミナル9番乗り場から、KSP行き無料シャトルバスにて約5分
<会費> 講義: 3,000円(資料代込)
     懇親会:7,000円
   *お子様連れも歓迎(ドリンク料金1,000円程度のみ。未就学児無料)
<申込> 一般財団法人青少年問題研究会 info@seishonen.net
      *会場予約の関係上、4月14日(日)までにお願いいたします。
<当日のプログラム>
  13時00分  受付開始(7階708会議室)
  13時20分 開会の挨拶
 第1部:最終講義
  13時30分〜14時30分
   前半の部:専門研究編「犯罪社会学の裏街道をゆく――逸脱した逸脱の社会学」
  14時40分〜15時40分
   後半の部:自分史編「何故私は非行に走らなかったか」
 第2部:懇親会(会場は施設内で調整中)
  16時00分〜18時00分

*駅からのシャトルバスは00分、20分、40分の発車です。時刻表をご確認ください。
*会場には宿泊施設も併設されています(残り部屋数が少ないです。必要な方は各自手配ください)
*駐車場もあります(1台当たり1,000円)。

「矢島正見先生を囲む会」有志一同(2343)
posted by 矢島正見 at 22:32| 我流雑筆

『観音妖女』

 白石一郎の『観音妖女―十時半睡事件張』を読んだ。
 昨年『包丁ざむらい―十時半睡事件張』を読んだ。『我流雑筆(2287)』にて記してある。その十時半睡事件張シリーズの第二弾である。
 「第一話」から「第八話」までの8本の短編小説が掲載されている。この小説はのんびりと読むことが出来る。唐木順三の困難な本を読んだ後なので、なおさらそのように思える。第一弾はたしか長塚節の『土』を読んだあとで、やはり和んだ記憶がある。(2342)
posted by 矢島正見 at 09:47| 我流雑筆

2019年04月09日

再度怪我

 また転んでしまった。今度は酔っていない、しらふの時である。
 孫とプールに行く途中。プールのある建物の手前で強風に煽られ、帽子が飛ばされないようにしたその瞬間、マンホールのほんの僅かな、数ミリほどの段差につまずき、転び、両膝を怪我してしまった。
 スイミング受付横のトイレに入り、傷を確かめたら、両膝共に擦りむけて出血していた。ティッシュで血をぬぐい、一方はハンカチで縛り、一方はティッシュをあてがい、応急処置をして、ズボンをはき、ズボンの上からマフラーで縛り、その場を済ませた。
 それからは、孫が逆に私をかばい、気遣い、じじい扱いされてしまった。(2341)
posted by 矢島正見 at 23:50| 我流雑筆

2019年04月05日

「令和」

 「万葉集にある歌の序文「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」(書き下し文)から二文字をとった」とのこと。
 万葉集からとったというのは実に良いことだ。日本の元号に中国の漢籍を用いる必要は全くない。今まで何故、中国の古典にこだわって来たのか、そのこと自体理解しがたい。奈良・平安時代はともかくのこと、鎌倉時代では当然日本の古典から選ぶべきことを、そうしなかったことこそが不思議だ。時の権力者ではなく天皇が定めていたということ自体が、つまらぬ元号作成の元凶と思わなくてはならない。織田信長が本能寺で死んでいなかったならば、天皇に代わって自らが元号を制定したのではないだろうか。
 元に戻ると、日本の古典中の古典の「万葉集」から選定したとは、出来過ぎである。これが、「古事記」だとか「日本書紀」となると、減なりするが、万葉集はいい。日本の歌の中の歌であり、日本文の原点である。

 ただ、「令」というのが、なんとも気になる。法令・命令・政令と、浮かんでくる。もっと、いい歌がいっぱいあるはずなのに、これを提示した人の感性も、選定した人の感性も、疑問符が付いてしまう。
 なお、「令月」という言葉は日本語大辞典にはなかったが、古語辞典には出ていた。「万事をなすのによい月。めでたい月」という意味だという。そうであるならば、まったく問題ない。「令和」の時代では、1月から12まで、すべてがめでたい月なのであろう。
 しかし、いつ頃のことだろうか、今の「法令・命令・政令」のような「いいつけ、おきて、のり。しむ、せしむ、させる」といった意味に転移していったのは。

 わたしがこの歌から採るなら、「風和」「和香」とするのだが、「風和」の「風」は頼りなく、つかみどころがないのでダメなのだろうか。風のようにそよぐ社会・文化のほうが、今のようながんじがらめの正義もどきの理屈よりよほど良いと思うのだが。
 また、「和香」は「倭寇」と重なるから他国からクレームが来るというのだろうか。しかし、「倭寇」の大半は、その他国人であったということなのだが、過剰反応ヒステリーな他国人と日本人がわめき散らすからダメなのだろうか。(2340)
posted by 矢島正見 at 00:16| 我流雑筆

2019年04月01日

『千利休』

 唐木順三『千利休』を読む。
 唐木順三は利休の茶道を「わび(侘)」の文化として捉える。そして、「さび」は無を根底にしているのに対して、「わび」は有と有との対立を根底にしている、と捉える。それは、豪華絢爛な支配者の文化に対しての対抗文化である。反権力文化ではあるが、権力があってこその文化であり、また、反権力という権力をもった文化である、と言う。
 封建体制が未だ確立されていない激動の時代での、堺商人の資質・武士に屈することを良しとしない意志から由来する利休と武士の頂点に上り詰めた秀吉との戦いである。政治支配で敗れ、屈服したものの(堺の商人自治都市の崩壊)、茶という文化では、優れている、屈服しないという観念からの対抗・抵抗である。唐木順三はその代表として利休を位置付けている。
 歴史学者ではない、まさに国文学者であり文芸評論家である唐木順三だからこその文化論である。
 なお、唐木は、江戸時代に入り、再度「すさび」を復活させた文人として芭蕉を位置付けている。
 しかし、私見としては、時代は既に「憂世」から「浮世」に入り、井原西鶴等の町人文化(上方・江戸大衆文化)へと時代変容が始まっていた時代の違いを見なくてはならない。殺されることもなく、とりあえず生きていけるそうした時代に生きた芭蕉の「すさび」と、鎌倉・室町の荒くれどもの殺し合いの中に生きた西行、一遍、長明、兼好の「すさび」とはやはり異なる。(2339)
posted by 矢島正見 at 00:33| 我流雑筆

2019年03月29日

『中世の文学』

 唐木順三『中世の文学』を読む。「中世文学の展開」「鴨長明」「兼好」「一休」は良かった。「世阿弥」「道元」「芭蕉への道」は、よくわからなかった。
 唐木順三の著作の中では、仏教の開祖として道元、法然、親鸞、一遍は登場するが、最澄、空海、栄西、日蓮は出て来ない。唐木は道元と一遍を高く評価しているようだ。私としては一遍である。一遍はどこか若山牧水に通じるところがある。
 僧侶としては西行法師、鴨長明(法名は蓮胤)、一休禅師、兼好法師が論じられている。歌人・俳人・芸人としては世阿弥と芭蕉が高く評価されている。
 私としては、鴨長明と兼好法師である。

 鴨長明は、幼年の折、父を亡くしたがゆえに、跡目争いに敗れ、父の跡を継ぐことが出来ず、失脚する。その後出世を望み、和歌を詠み、琵琶を弾き、藤原定家を頂点とした宮中の伝統的和歌を懸命に真似るものの、ついには出世の道を閉ざされる。
 失意の中で、鎌倉の源実朝の元に行くも職を得ること叶わず、力尽き果て、京の日野の方丈庵(一丈四方)にて隠遁の生活に入り、そこで亡くなる。欲望と挫折の人生だったのである。
 『方丈記』は方丈の庵にて書かれたものである。
 以前、『方丈記』を読んで感銘した覚えがある。今回、彼のこうした生涯を重ね合わせてみると、『方丈記』の暗く重たい内容が、長明の生きた時代の暗さ・重さと長明自身の人生そのものから発した暗さ・重さであることがよくわかる。
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」の出だしは、欲望と挫折の末に行きついたが無常である。
 下加茂神社境内に方丈庵の復元が展示されているらしい。京都に行った折には見に行きたいものである。写真で見ると、3メートル四方の広さではあるが、なかなか洒落ている。もっとも、ボットン便所がどこにあるのかははっきりしない。

 兼好法師(吉田兼好)の『徒然草』は軽い。軽妙洒脱である。生きるもがきや苦しみがない。当事者の視点でなく外部の達観した目線で世を評論している。
 その眼差しは優しいようでいて、冷たい。貫徹したデカダンスであり、ニヒリズムである。
 出世・名声はもちろんのこと、芸も宗教も望まない。その点は、歌人のような芸への執着がなく、僧侶のような仏教への執着がない。世の中に対しても自分自身に対してもシニカルである。日本の室町時代のショーペンハウエル、ニーチェである。
 「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」という出だしも、長明とは全く異なっている。
 〈つまらない時代に、つまらなく生きた、つまらない俺が、つまらないままに、つまらないものを書いたので、つまらないあんたたちも、まあひとつ、つまらなく読んでやってくれ〉、といったところである。(2338)
posted by 矢島正見 at 11:18| 我流雑筆

2019年03月27日

さてさて、これからが本格的な春

 暖かくなった。最高温度が20度を超した。と思ったら寒さがぶり返してきた。冬の最後のあがきである。これからは、徐々にまともに暖かくなるであろう。着ていたものも一枚少なくなる。良い季節になっていく。嬉しい限りである。
 庭の桜の花が咲いた。張さんから贈られたさくらなので、我が家では「張さんさくら」と言っている。大した花ではないが、なかなかしぶとい桜である。
 本日、東京の八重洲に用事で出かけて行ったが、桜並木はほぼ満開になっていた。数名の外国人が写真を写していた。
 春には、目立たない、名も知らない、小さな花が、野辺に咲き誇る。そんな花がいい。雑草の花である。「雑草」と虐げられている草の花である。(2337)
posted by 矢島正見 at 13:23| 我流雑筆