2020年06月19日

『悪人列伝 近代篇』〈D江戸時代〉

 『悪人列伝 近代篇』を読む。時代は江戸から明治までである。これにて『悪人列伝』は終了である。6編の史伝小説が掲載されている。

 「大槻伝蔵」は、いわゆる「加賀騒動」と言われる内容である。加賀藩の御家騒動であり、加賀藩の権力闘争事件史である。大槻伝蔵は「加賀騒動」では大悪党として描かれている。しかし、その事実は権力闘争に敗れたということに過ぎない。勝利者の書かれたことが、江戸時代の戯作者によりさらに面白可笑しく肉付けされた結果である。「悪人伝」ではなく、「悪人言説伝」である。「正義」も「悪」も、ある人たちにとって都合よく作られていくのである。
 面白い歴史記述は気を付けることである。江戸時代につくられた正義言説は、必ずしも歴史ではない。言説史・創作史である。
 
 「天一坊」は、八代将軍吉宗のご落胤という人物の事件である。これも大したことのない事件であるにもかかわらず、歌舞伎で取り上げられ、大事件のようにさせられてしまった事件である。物語と歴史的事実との区別がつかない江戸庶民の正義妄想である。取るに足りぬ「小悪党」にすぎない。
 この時代は、既にマスコミの時代であったと、言ってもよいのではないだろうか。となると、日本のマスメディアの最初は、大衆舞台劇だったということになる。

 「田沼意次」は当然現在では悪党である。国会議員が賄賂を受けたとなると、マスコミもネットも大騒ぎをする。まして田沼意次は実質的には、今で言えば内閣総理大臣である。しかも、毎日、わいろの人たちが押し掛けたというのであるから、犯罪件数はおびただしい。超極悪人である。
 しかし、田沼が賄賂を求めたというよりは、人びとの依頼嘆願が賄賂であったという傾向が強い。「贈収賄」で「贈賄」が先にあり、「しかと承った」と収賄になる、ということだ。ただし、「贈賄」しないと承らないというところが、根性が厭らしい。
 私が当時、大目付程度の職にあったならば、論理整然と諭したのであるが。ものの分かる理性ある人物であったので、しっかりと理解したことと思う。その後の松平定信のほうが偏屈の正義イデオロギストで、合理的な判断のできない人物であった。
 なお、当然のことだが、歴史上至る所で贈収賄がなされている。この後の明治維新の井上馨も汚い。にもかかわらず、明治の大物である。高杉晋作などは公金横領である。しかも、長州藩の年間収入の半分ほども横領している。それが明治の英雄である。これを批判しない現在の日本人の二重規範(ダブル・スタンダード)こそ問題であるのだが。
 まあ、正義なんてそんなものだと、考えてよいであろう。

 「鳥居耀蔵」。これは汚い。狡猾にして、権威主義にして、立身出世の欲望大にして、そのためには人を陥れることを当然のこととする。自己の汚さを顧みることなく他者を恨むこと人一倍であり、汚い方法で相手を落とし込める。手段は選ばない。
 戦国時代の松永久秀や宇喜多直家も汚かったが、それでも武士らしさがあり、いざとなれば、潔い。死を覚悟しての汚さである。
 しかし、この男は徹頭徹尾官僚人間だ。キツネ型の政治時代での典型的な悪人である。実に、小者の悪人である。(2493)
posted by 矢島正見 at 12:28| 我流雑筆