2020年06月18日

『悪人列伝 近世篇』〈C安土桃山・初期江戸時代〉

 弥生文化中頃からのほぼ2500年の日本の歴史では、半分近くが殺し合いの歴史であった、と言えよう。
 卑弥呼の以前から歴史は殺し合いの時代に突入している。大和朝廷も初期から既に殺し合いである。天皇家自体が親族同士殺し合っている。当時の支配者は「公家」ではない。その時代の闘争軍団であり、「最初の武士」である。それが天武天皇が支配するまで続いた。これが日本の第一次戦国時代と言えよう。およそ1000年ほど続いたと推測し得る。

 次の殺し合いの時代は鎌倉幕府崩壊から南北朝時代の終わりまで、およそ60年間である。天皇が二つに分かれて殺し合ったのだから、たまったものではない。アメリカの南北戦争のようなものである。
 当時、織田信長のような合理的で冷酷で野心のある大大名がいたら、両方の天皇を殺して、自らが皇帝になっていたのではないだろうか。これが第二次戦国時代である。

 世に言う戦国時代は第三次戦国時代である。応仁の乱から大坂夏の陣までの、およそ150年間である。
 幕末・維新から日清戦争・日露戦争・日中戦争・太平洋戦争が第四次戦国時代である。私は幕末・維新革命(国内内乱)の始まりを1842年、アヘン戦争終結からと思っているので、その間およそ100年である。これら合計すると、日本史のおよそ1300年間である。つまり、日本史の半分は戦国時代だったのである。

 では、残りのおよそ半分の1200年は平和の時代であったかというと、必ずしもそうとは言えない。各地で様々な乱がおこっているし、いたるところで小さな殺し合いがなされている。単に、大規模な集団的殺し合いが少なかったということである。
 極めて平和であった時代は、奈良・平安時代であり、江戸時代であり、現代である。
 ところが、この時代は、それはそれで実に厭らしい時代である。人を落とし込める、だまし合いの時代である。平和と言われている時代は、殺戮を伴わない汚い謀略の時代なのである。

 私は、日本の歴史を「獅子の時代」と「キツネの時代」に区分する。日本史は、ほぼ両者半分ずつの時代である。そして、交互に入れ替わっている。
 「獅子の時代」の歴史的反省はその反動として「キツネの時代」を招き、「キツネの時代」の歴史的反省はその反動として「獅子の時代」を招くのである。「獅子の時代」は殺し合い、「キツネの時代」はだまし合い、である。こうして、歴史は繰り返されるのである。
 鎌倉時代・室町時代の人は多かれ少なかれ、みな狡猾で腹黒い自己利益主義者と思っていてよい。武士も商人も農民もである。そうでなければ生きていけない時代であった。そして、それは戦国時代にまで引き継がれる。

 前置きが長くなってしまった。さて、『悪人列伝 近世篇』。
 ここでも、さほどとびぬけた悪人は出て来ない。「松永久秀」も「宇喜多直家」も、乱世を生きた名だたる戦国武将であり、狡猾で汚い人物である。この時代の一国一城程の武士ならば皆悪人である。斎藤道三も毛利元就も織田信長も徳川家康も山之内一豊も伊達政宗も、皆悪人である。
 「陶晴賢」はむしろ善人である。権謀術策に長けた毛利元就に騙された哀れな武将である。
 「松平忠直」は殺しに快感を求める狂人であり、側室がさらに狂人であったがゆえに、とんでもない虐殺に狂喜した。戦国時代であれば、狂喜して戦場で死んでいったであろう。
 「徳川綱吉」は、性格の偏った個別領域特殊正義イデオロギストであったに過ぎない。自然環境を大事にした将軍であり、クジラではなく犬を極端に愛護したにすぎない。
 今でも、綱吉と同類の「正義の人」が地球上には、限りなくいる。そういう人が絶対的権力者になったら綱吉と同じようになるであろう。

 中国や西洋の悪人に比べると、日本の悪人は実に可愛い。殺してもせいぜい数万人程度である。大陸とでは2〜3桁違う。(2492)
posted by 矢島正見 at 00:54| 我流雑筆