2020年02月07日

『縄文時代の歴史』A

 実に面白いので、今少し書く。

 ヒトが日本列島にやって来たのは、およそ4万年から3万8千年前とのこと。当時は最後の氷河期。海面は現在より100メートルほど低い。北は氷の海であり、北海道はサハリンや大陸と繋がっていた。(ただし、本州とは繋がっていない。津軽海峡の潮流が激しかったからだ。よって、北海道の縄文文化は本州のそれとはやや異なる。)また、瀬戸内海はなく、本州と四国と九州は繋がっていた。

 縄文の始まりは16,500年前。草創期は16,500〜11,500年頃まで。この間は旧石器時代と縄文時代との移行期(混在期)。移行期が5,000年ほどあることになる。なお、縄文時代は新石器時代であり、日本固有の名称である。(世界的に珍しい文化である。)

 当時の日本は寒冷期であり、針葉樹林におおわれていた。マンモス、ナウマンゾウ、オオツノジカという大型哺乳類が生存していた。(マンモスが日本にもいたのかと、疑問だが、書かれている。)

 温暖になってきたのは、11,500年頃で、草創期の終わり、早期の始まりである。東日本では落葉広葉樹林(ブナ、ナラ)が、西日本では照葉樹林が広がっていった。大型哺乳類は絶滅し(何故絶滅したのかは書かれていない)、イノシシやニホンジカが登場する。早期の縄文人の人口はおよそ2万人。(ということは、草創期では数百人から数千人か。その程度であろう。)

 縄文早期には、ヒトは犬と既にパートナーを組んでいた。猟犬である。しかし、弥生時代になると、ヒトと犬との関係は異なってしまう。犬は食料とされたのである。(水田に犬は不要というわけだろう。弥生人は犬を裏切ったわけだ。徳川五代将軍がその頃いなくてよかった。)

 温暖化は、約7,000〜5,900年前がピークであり、海水面は現在よりも2.5メートルほど高かった。その頃、東京湾は栃木県まで続いていた。また、利根川と霞ヶ浦はひとつになっての入り江であり、房総半島は本州から切り離され、ほぼ島となっていた。

 縄文時代の人口は中期(5,470〜4,420年前)が最も多く、26万人を越えていた。分布は東日本(中部・東海以東。ただし北海道は除く)に圧倒的に多く、推定人口22万7,200人、西日本(近畿以西)の推定人口は9,300人であった(ということは、北海道は2万5千か)。西日本は極めて少ない。弥生人が西から入り込んで来るのには実に都合が良かったということだ。

 およそ4,300年前頃に冷涼化し、東日本の縄文人の人口は激減した。(西日本ではいくらか増えている。)

 縄文文化から弥生文化への移行は地域によって全く異なる。北九州では3,000年前に既に弥生文化圏であり(弥生時代の始まり)、関東・中部では弥生時代中期中葉(紀元前200〜紀元0年)以降に弥生文化圏となり、東北地方以北では弥生文化はない(多分、古墳文化もないのではないだろうか)。東北地方以北では縄文以降は天皇支配の律令制国家に組み込まれる。

 北海道では、弥生時代ではなく続縄文時代と言う(のちのアイヌ文化であろう)。

 日本人のDNAの12%は縄文人。(少ないようだが、そもそも縄文人が晩期では10万人を割ってしまったくらいに少なくなってしまったのだから、それを考えると多い。)

 以上である。(2436)
posted by 矢島正見 at 12:13| 我流雑筆