2019年11月11日

『墨東綺譚』C/5

 付録的に「作後贅言」という随筆がある。これは面白かった。私にとっては、『墨東綺譚』よりよほどよい。
 関東大震災以降昭和一桁までの時代が書かれているが、実に納得する。花電車も東京音頭の公開も、実は商業的利益でしか過ぎないという考察はまさに社会学である。
 「内情は日比谷の角にある百貨店の広告に過ぎず、其店で揃いの浴衣を買わなければ入場の切符を手に入れることができないとの事である」という記述には、笑ってしまった。
 ガード下での「血盟団」の張り紙とその下で寝ている乞食の観察も鋭い。
 「現代人が深夜飲食の楽しみを覚えたのは」、省線の最終が遅くなったこと、円タクの深夜料金が安くなったことであり、そして、この「風俗を矯正しようと思うなら、交通を不便にして明治時代のようにすればいい」と言う翁。
 さらに「何もかも勢力発展の一現象だと思えば、暗殺も姦淫も、何があろうとさほど眉を顰めるにも及ばないでしょう」と言う翁の言葉は、これだけですごい。
 百年を超越している。時代を時代の外から眺めている。幕末も人間の勢力発展、日露戦争も第一次世界大戦も人間の勢力発展、そして5.15事件も…というのである。
 これはニヒリストの眼差しである。「日本は滅ぶかも」「日本人はすべて殺されるかも」という達観である。鴨長明に通じる。それは、悲嘆にくれた思いではないし、激怒した思いでもないし、絶望の思いでもない。静かに文明の滅びゆく先を見据えての覚悟、といった無常観である。(2407)
posted by 矢島正見 at 16:35| 我流雑筆