2019年10月16日

そこで、調べてみた

 もう30年以上であるが、時代小説を読むたびに、貨幣経済が気になってしまう。小説を読み、気になると調べるのだが、すぐに忘れてしまう。そのために、分かりやすく書かれた江戸時代の経済や生活の本を買ったりして読む。今は、ネットという大変便利な自宅図書館があるので、Wikipedia等で調べてみた。
 以下、調べてみたことを記す。

・一石=十斗=約三俵=成人男子が一年間に食べるコメの量(一日五合食べるとして換算)
・一両=三石〜四石(時代により変動する)
・一両(金)=四分(二分金・二分銀、壱分金・壱分銀)=十六朱(二朱金・二朱銀、壱朱金・壱朱銀)=4000文〜6000文(時代によって異なる。なお、幕末は異常な経済状況(インフレ)を呈するに至っている。)
・一両=銀60匁(目)(約225グラム。なお、銀1貫は銀1000匁)=銭4貫(4000)文(元禄13年(1700年))。銀は重さが単位であり、金の両と銀の匁とは異質の貨幣単位である。
・一俵=約60s(時代・地域により異なる。俵とは単に米を運ぶためのものに過ぎなく、重さや量の単位ではない。)
・年貢…四公六民・五公五民・六公四民とある。幕府は主に四公六民、各藩は主に五公五民。

・知行取りの場合は、一両のほぼ1/3が一石となる(逆に言えば、三石で一両となる)。十万石の大名の年間総収入はおよそ3万5千両ということになる。1000石の旗本でおよそ350両、100石の武士ではやよそ35両である。
・何故そうなるのか。本来ならば一石=一両である。しかし、五公五民の十万石の大名ならば、藩の収益は五万石となる。これは玄米なので白米にすると糠の分が減り、手数料も取られて、四万石となる。米問屋に委託して売るので、結局三万八千石ほどになる。
 幕府の場合では、四公六民なので十万石は四万石となる。白米で三万二千石、米問屋に委託販売で三万石。したがって、およそ十万石の1/3ほどになるのである。

 「例えば幕府の直臣の場合、旗本などは知行地を与えられ、その知行地から収納する年貢米が収入となる(知行取り)。しかし中・下級の旗本や御家人の中には知行地を与えられず、幕府の天領から収納され幕府の蔵に納められた米から、俸禄として現物支給された者たちもいた。この現物支給される米のことを蔵米と言い、こうした者たち、あるいはその階層のことを「蔵米取り」とされた。」
 「近世武家の俸禄形態には知行取り、蔵米取りの他、現米取り(切米取り)と扶持取りがある。」

 「蔵米取りの者の禄高は「蔵米三百俵」のように俵数で表されるのが一般的であった。蔵米取りの場合、俸禄は年3回に分けて支給されるのが常で、2月と5月に各1/4、10月に1/2が支給された。それぞれ「春借米」「夏借米」「冬切米」と呼んだ(「借米」は「かしまい」と読む)。ただし、俸禄は全量米だけで支給されるわけではなく、米の一部はその時季の米価に応じて金銭で支払われるのが通例であった。浅草の札差がそれらの米を百俵に付き金1分の手数料で御米蔵から受取り、運搬・売却を金2分の手数料で請け負った。」
 そう言えば、江戸町奉行所の同心は30俵2人扶持の俸禄だったという。これは蔵前取りであり、年収40俵で、札差に3分支払ったとしても、39両1分である。しかも、八丁堀に百坪ほどの屋敷をあてがわれていたという。
 岡っ引き数名に手当てをやらなくてはならないが、町民(商人)からの差し入れ(賄賂)がかなりあったというから、うはうはの生活ができたようだ。

 「幕府では1俵=3斗5升入(0.35石)、加賀藩では1俵=5斗入で換算されていた。米の品質は、幕府の場合、上米・中上米・中米・中次米の4等級にわかれ、高職者に上米、並の役職者に中米、無役者に中次米を支給していた。」
 「俸禄としては知行取り1石=蔵前米1俵、現米35石=100俵、1人扶持=米5俵で換算されていた。つまりたとえば、知行取り100石=蔵米100俵=現米35石=20人扶持=金35両(名目レート:現米1石=1両換算)となる。 100(石)×0.4〜0.5×0.85=32〜43(両)」

 「知行の換算は、 米1俵 = 1石 = 金1両(名目レート)また蔵米5俵 = 1人扶持(1日5合換算の端数切り上げによる)であった。」
 「なお、幕府の御家人の知行1石が蔵米1俵に相当するのは、以下の通りの計算である。
天領の税率が四公六民なので、知行1石からは武士に対しては4斗の収益となる。これを精米することにより約3斗5升となり、蔵米の精米1俵分とほぼ同等となる。」

 以上である。(2398)
posted by 矢島正見 at 13:19| 我流雑筆