2019年08月14日

『朱夏』B/5

 この時代はこんな認識だったのか、と驚きと共に物語は始まる。
 綾子17歳。代用教員。金銭的にはすべて父親に依存しておきながら、意識としては父親から逃げたい、独立したいという思いに、何の矛盾も感じない娘(『春燈』の最後、そして『朱夏』の始まり)である。
 綾子は教師の要と知り合う。そして父親からの独立を求めて17歳で結婚し、18歳で子どもを産み、生後50日にて、夫と共に満州に行く。夫が満州開拓団の教員になるためである。父親からの独立は夫への依存である。

 時は昭和20年3月。ここで驚きである。昭和10年の3月の誤りではないかと、一瞬疑う。5年いや10年、時代がずれているのではないかと、思わざるを得ない。
 硫黄島で日本軍は玉砕し、本土はB29の爆撃が連日連夜続き、すでに敗戦は時間の問題、目と鼻の先にあり、日本が敗戦すれば、大陸に渡った日本人の命はまったく保証されないという時代そのものの中での満州行きである。
 しかし、この時代錯誤の認識は、綾子と要だけではなく、大土佐満州開拓団の認識でもある。満州に行けば空襲はない、満州に行けば食べ物は豊富にある、今よりも豊かな生活ができる、そして教員は3倍の給料がもらえる、ということである。
 まさに、目先の明日だけの欲望で生きていたことがわかる。そして「神国日本が負けるわけない」という都合の良い考えが、都合が良いからこそ信念と化すのである。
 この頃になると、すでに満州にたどり着くまでが大変である。以前の倍以上の時間を要し、さらに途中撃沈されて海の屍になる可能性が高い。それでも行くのである。

 実際、昭和20年5月まで、満州開拓団は派遣されていたとのことである。沖縄上陸直前までである。国家がおかしいだけでなく、国民もおかしかったのだ。まともな判断ができていなかったと言わざるを得ない。戦争は国家だけの責任ではない。(2376)
posted by 矢島正見 at 00:52| 我流雑筆