2019年07月20日

『櫂』A/3

 宮尾登美子の小説は実にねちっこい。ひと言で済むことを数頁にかけて描写する。それは自然主義の事実描写ではなく、ミクロな私的な認識・意識・感情描写である。
 それは長塚節や田山花袋とは全く違うものである。かと言って、林芙美子のような感情丸出しの私小説でもない。完璧に構成された物語が展開されている小説であるが、にもかかわらず、じれったくなるほどの描写であり、読むのが面倒になる。
 モーパッサンの『女の一生』を高校生時代に呼んで、なんでこんなものを最後まで読んでしまったのかと後悔したが、『櫂』は日本版女の一生である。男では到底書けない、女の怨念の生涯を、これでもかと言わんばかりに描いた小説である。恨んだ女の立場に立っての物語の展開であり、亭主の「岩伍」が哀れにさえ思えてくる。
 岩伍にとっては、ひどい女と結婚したものだと、おそらく後悔したに違いない。にもかかわらず、その妻(喜和)は、自分は夫の犠牲者と思い続けている。子ども(綾子)を歪んだ母子愛によって育て、まったくの反省もない。夫に従っているようでいて、我を通し続け、改めることがない。実に頑固である。
 当時(大正時代)としては、下賤の女売買(芸妓・娼妓紹介斡旋業)の男としては(岩伍はそんな中でも実に誠実であり立派である)ごく当たり前に妾をつくり、妾に子を産ませたということを、実に一大事として恨み続ける女の視点であり、時代認識とは異なる現代の風潮の認識がかぶさった、どろどろとした小説である。
 三人称の文章のきちんとした文体であって、決して私小説ではないが、一人の女の視点から描いた主観小説である。
 内容は面白いのだが、そして読ませるのだが、うんざりしてくる。まるで今はやりのこってりとしたスープのラーメンである。「そこがいい」という評論家もファンもいるのだろうが、私にとっては、細めんの醤油味で「シナそば」と称される、さっぱりとした味わいのほうがいい。横浜系ラーメンはダメである。(2368)
posted by 矢島正見 at 12:48| 我流雑筆