2019年02月19日

『若い詩人の肖像』B/4

 林フミコが『放浪記』を書いて、林芙美子となり一躍有名になったのは26歳のことである。林芙美子は林フミコをほぼ忠実に再現している。同時代の体験を同時代の感性・感情で描いている。一方、伊藤整(いとう せい)は、1954年から1956年(49歳から51歳)にかけて、若き頃の伊藤整(いとう ひとし)のことを、回想録風の小説として、しっかりと構成して描いている。そこが決定的に異なる。
 『放浪記』は日記体で書かれており、林フミコの感情の吐き出しそのものである。自己の生活を自分自身の視点から見ている。客観的な自己分析などない。一方的な自己感情表出小説であり、時代も状況も、ときには場面もわからずに、時間の流れもストーリー展開もよくわからないことが多い。
 伊藤整は、第三者の視点から自己分析をし、自己の感情を客観的に描いている。小樽の情景もよくわかり、時間の流れもストーリー展開も極めて明瞭である。
 さらに大正から昭和にかけての日本の詩文学の時代性もわかる。読んでいて、当時の若い詩人にとっては、この時代の詩の潮流というものをこのように認識していたのか、と納得する。島崎藤村を代表とする抒情詩の終末期であり、プロレタリア文学の最盛期を迎えようとしていた時代と絡めて、自己の青春の欲望・不安・焦りが見事に描かれている。
 若い女の文章と大人の男の文章の違い、無名の作家の文章と作家・文芸評論家として名声を確立させた文学者の文章の違いである。(2324)
posted by 矢島正見 at 00:44| 我流雑筆