2018年02月24日

オリンピックの国家主義F

 第31回夏季オリンピックは2016年にブラジルのリオデジャネイロにて開催された。参加国・地域は205、参加選手は10,500人、競技数・種目は28競技・306種目であった。
 参加国・地域と参加選手の拡大化は喜ばしいことであるが、競技数・種目の拡大化は腑に落ちない。
 これがスポーツか、と言わざるを得ないものが続々と登場している。どう考えても、「肉体の祭典」ではない。人間の身体能力を極限まで追求したものではない。技術を競うだけではスポーツではない。それは、たんなる競技であり、むしろ「遊び」といったほうがよいものだ。
 ゲートボール・ボーリング・ビリヤード・バレー・各種ダンス・チアリーディング・等々、いずれもオリンピック種目になり得る。それどころか、私が子どもの頃に遊んだビー玉やパチンコ、ベーゴマ、縄跳びも、オリンピック種目になり得る。
 それでは何故、ある種目がオリンピックの種目になったのか。ひと言でいえば、そのスポーツの競技団体の政治的活動・政治力である。
 競技者だけでは絶対にオリンピック種目にはなれない。そこでは、役員や職員をそろえ、組織運営をし、組織を拡大化させていき、全国的なさらには国際的な組織に発展させ、マスコミで競技を放映させ、タレント性のある選手を生み出し、感動的なドラマ仕立てを構成し、強力な政治力を持つようにして、国とIOCに圧力をかけ、それに成功した種目がオリンピックに採用されるという、これまた政治とスポーツの癒着である。(2186)
posted by 矢島正見 at 10:20| 我流雑筆