2018年01月20日

NHK大河ドラマ『西郷どん 第二回』

 NHK大河ドラマ『西郷どん 第二回』を観た。借金の形に売られていく少女を西郷が懸命に救おうとする、島津斉彬への建白書なるものを渡すことさえできずに奮闘する、というそんなストーリーだ。
 なんとも違和感を覚えたのだが、視聴者の大半は素直に感動したのではないだろうか。そこが脚本家の狙いであろう。
 西郷に関しての歴史的史実として、こうしたことはおそらく記されていないはずである。原作者の、もしくは脚本家の挿入ストーリーであろう。
 いたいけない少女が身売りされる、これだけでなぜか現代人は世界的に「大変なことだ」「悲惨なことだ」と心を動かされるようだ。性の問題と子どもの問題がセット化すると、人びとは大いに問題視する。
 従軍慰安婦問題も、戦時下の兵隊相手の売春問題というのでなく、売られて性の奴隷とされた可哀想な少女、という観念で思考されがちである。一部の人たちにとっては、数万人の兵隊が殺されるよりも多くの涙を誘うようだ。
 こうした現代の傾向をうまく利用して、視聴者サービスを行い、視聴率を上げようとしたのが今回の『西郷どん』であると、批評せざるを得ない。一回目がいくらか面白かったので期待したのだが、がっかりした。
 この頃(江戸時代末期)、貧農の女子は12−3歳ともなれば、ほぼ奉公に出される。借金があろうとなかろうと。口減らしである。前金は親がすべて取る。少女を売るのは親である。こんなことは戦後の昭和20年代まで続いていたことだ。何も特別なことではない。下級武士(郷士)生まれの西郷にとっては、見なれた・聴きなれた、自明のことであったはずだ。
 もし、外国に支配されたら、日本の農民はさらに悲惨な状況に陥る。だからこそ、時代を変えなくてはならない、というストーリーでなくては、感心しない。これでは逆に若き日の西郷の目先に囚われた認識スケールの貧弱さを提示しているようなものである。
 もっとも、その後島津斉彬の薫陶を得て、自己を反省し、スケールの大きな視座を獲得するという展開であるならば、別だが。
 なお、隠し田畑はよかった。あのようなことは多くの農民がしていたことだ。理解ある武士は、知りつつ知らないふりをしていたことと思う。(2165)
posted by 矢島正見 at 09:50| 我流雑筆