2018年01月13日

「晴れ着トラブル」から

<晴れ着トラブル>被害総額は数千万円か 東京と神奈川(1/9(火) 11:37配信)
「「はれのひ」に注文したため、姉の晴れ着を借りるほかなく式には間に合わなかった。」
「晴れ着のレンタル・販売会社「はれのひ」(横浜市)と契約した新成人に振り袖が届かず、連絡が取れなくなった問題で、神奈川県内の警察署に「代金を払ったが店と連絡が取れない」などの相談が少なくとも60件寄せられた。被害総額は東京都内も合わせると数千万円に上る可能性もあり、神奈川県警は実態把握に乗り出した。」

 成人式の日に晴れ着が届かずに成人式に出られなかったという。晴れ着を着ないと出られないということだ。マスコミでは悲劇として扱っている。しかし、何故、成人式を行政が主催するのか。そうした根本的疑問が欠如している。
 正月の祝・盆暮の儀式、誕生祝、七五三の祝、結婚式、出産祝、還暦・古希記念、葬式、これらすべて家族が中心となって行われる。入学式・卒業式は学校が行う。それなのに何故、成人式だけ行政がでしゃばるのか。
 成人式が出来たのは、政府が、「成人の日」を国の祭日として定めて、地方自治体が中心となって地域で式典を行うと定めたからだ。元来は一族が同族の若衆に対して行なっていた元服を、国策として定めたことから始まったのである。昭和23年のことであり、昭和24年からこの施策として第一回の成人式が挙行された。
 家族・一族は無視され、式に出席すらできず、地域行政のお偉方が壇上を占め、「お父さん・お母さん、ようやく大人になりました」と感謝する間もなく、粛々と式は執り行われていく。そうした本質的なことを、も少しマスコミ・ジャーナリストは問題化すべきではないだろうか。
 もし、七五三を、親を無視して、行政主体で行ったとしたら、いったいどうなっていくのか。もし結婚式が行政主体で行われたとしたら、人びとはどう反応するだろうか。それと同次元のこととして捉え、問題とすべきである。(2162)
posted by 矢島正見 at 11:50| 我流雑筆