2015年07月07日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのO

 戦国大名は勝てる戦しか仕掛けなかった。ところが、幕末以来、一か八かの戦を仕掛けるようになった。徳川幕府と薩長土肥の戦いにしても、幕府が予想以上に軟弱・弱腰であったからの勝利である。
 安政年間であったならば全国の譜代大名・諸藩を固めるだけの力量が幕府にはあった。そして、それができていれば20万の軍隊を揃えることが可能だった。旧式軍隊とはいえ、20万の大兵団であるならば、完勝した。
 それをしなかったのは、できなかったのは、頭だけ狡猾な、よく言えば平和主義、悪く言えば事なかれ主義に徹した幕府官僚群であった。また、幕閣の内部分裂であった。第一次長州征伐の中途半端がその好例である。征伐をする限り、長州藩お取り潰しまでするのが当然である。
 ところが、幕府との戦いで薩長土肥の首脳陣は、当然のごとく勝ったという自負をもった。その後の明治の歴史はそれを強調した。近代兵器を整備したから勝ったというイデオロギーは、軍の近代化路線の賛美であり宣伝であった。
 近代日本建設のその最初から、勝ち戦での反省がなかったのであり、それが日清戦争、日露戦争、大東亜戦争にまで、延々と引き継がれていくのである。
 そして、ひとたび負けると、今度は180度の変化で、反省ばかりの意識が構築されるのである。(1797)
posted by 矢島正見 at 15:53| 我流雑筆