2015年06月15日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのA

 林子平、天明6(1786)年に『海国兵談』を著す。既にこの頃から日本の近海は物騒になりつつあったということか。明治新政府成立より80年以上も前のことである。
 ちなみに、文政8(1825)年、幕府は外国船打払い令を出している。ようやく、幕府も海外からの危機を感じだしたということだ。しかし、幕府が本格的に危機意識を抱いたのは、アヘン戦争にて清国がイギリスに敗れた天保13(1842)年からのこと。
 実にのんびりとしている。天下泰平の時代に慣れた官僚行政の最たるものである。
 さて、幕府は『海国兵談』を発禁、林子平を投獄。ここに鎖国政策の最大の失敗を見いだせる。
 戦国時代から続く第三期の海洋国家になり出した日本を完全に方向転換させた政策のひとつが鎖国政策であったからだ。そして、その鎖国政策の根底にあった徳川幕府の〈島国主義政策〉こそが大きな問題だったのだ。
 こうして日本は「海洋国家」ではなく「島国国家」へと方向転換していく。言い換えれば、外向きの政治経済文化姿勢から内向きの政治経済文化姿勢に歴史は大きく転換したのである。(1783)
posted by 矢島正見 at 11:38| 我流雑筆