2010年06月03日

なんだかんだと6月

◎多忙に怠惰
 このところ書き込みが実に停滞気味だ。忙しさの合間に勢い込んで書き続け、力尽きて筆を折り、そのとたんにまた忙しくなり、それがしばらく続くと、今度は、書くこと自体がおっくうになってくる。そんなことで、書かなくなる。多忙が続くと、他のことが怠惰となる。そんなものである。
◎大学教員家業
 大学の教員も、教育と研究だけしていれば、楽だし、単純な生活で済む。研究をしなければ、それこそ気楽な商売だ。10年間まったく研究しなくても、実につまらない講義をし続けても、経営・事務能力が無能であっても、首にはならない。いい商売である。
 週に大学に3日行き、大学院は持たないで、または持てないで、たとえ持てたとしても受講生がいないので自然休講扱いで、学部の科目を5科目ほどこなして、教授会や委員会には適当に出て、もちろん絶対発言はしないで、研究室に立てこもり、家には寝るだけに帰り、講義以外は丸一日ほとんど口をきかず、それでいて「ひきこもり」と言われることもなく、生活していけるのが大学教員家業である。
◎セクハラ
 ただし、セクハラだけには注意。しかし、無気力な講義をしている教員はセクハラにはほとんど遭わないようだ。
 むしろ、学生サービス旺盛な教員ほどセクハラの危険性が高いといえる。
 コンパでのセクハラは、その典型だ。コンパなどする必要はない。しなくても大学は首にならない。コンパで先輩が来て、それがセクハラとなるケースが多いが、先輩が学生のコンパに来るということは、その教員が卒業生にまで勢力を拡大しているという証拠である。やり手の教員ということだ。
 講義の際の発言がセクハラということも、よくある。あれも学生サービスだ。テキストを用いて、テキストを読んでいれば、決してセクハラ発言はない。それを、学生の興味ある例えを出して、わかりやすく解説しようと思うと、とたんにセクハラの危険が出てくる。
 廊下ですれ違った女子大生が、たとえ挨拶をしても、すましていれば、決してセクハラにはならない。サービス過剰に教員が反応するからセクハラの危険性が出てくるのだ。「今日は顔色いいね」と言うところを「今日は可愛いね」なんてついつい言い間違えてしまえば、とたんにセクハラ性大となる。
 セクハラもパワハラもアカハラも、大学院生が訴えるケースが実に多い。大学院で優秀な人材を育成しようと思うから、そうなるのだ。研究者として有名にならないようにして、指導院生を持たないようにすれば、セクハラもパワハラもアカハラも関係ない。
◎元に
 別に、セクハラのことを書こうと思っていたわけではない。私の日々の生活を書こうと思っていたのだが、こんな方向に筆が進むと、私の生活がいかにセクハラの危険に満ちあふれているかのような、そんなとんでもない誤解を与えかねない。私はただ単に、無気力な、何もしない大学教員ではない、ということを書こうとしただけのことである。元に戻る。
◎あれもこれも
 現代社会とほとんど関係を持たない研究領域の教員は、研究と教育のほぼこの2つで、生活が構成される。
 ところが、社会学はそうはいかない。外部との関係が実に多く出てくる。国や自治体との関係があったり、財団やNPO等の民間団体との関係がでてくる。講演ありシンポジウムあり、となる。
 これだけでも忙しいのに、学術学会や研究会等もあり、学外での仕事に追い回されることになる。
 さらに、仕事ができると、学外でも学内でも、委員をやらされ、委員長をやらされ、教授会等で発言でもすれば、すぐに仕事が回ってくる。
 また、教育熱心で、学生サービス旺盛だと、研究室にいるだけで、学生がやってきて、ときには他専攻や他大学の学生・院生すらくる。
 これでは身が持たない。事実、夏休みほぼ60日間で、まともに休める日は20日ほど。土日では、3ヶ月間やく25日あるうち、休めるのは10日ほど。
 しかも、昨年の8月からは、孫の世話がこれに加わった。愛花お嬢様と虎徹おぼっちゃまという独裁者の僕役をやることとなった。
◎なんだかんだと6月
 こうしているうちに、「なんだかんだと6月」になってしまったのだ。
 さて、そろそろ終わりにする。これを書くのに1時間半近く費やしている。昨日から今日にかけて、実に細々とした雑用をこなした。これがその最後である。(1105)
posted by 矢島正見 at 16:12| 我流雑筆