2008年04月27日

文科省に踊らされている馬鹿

 現在、23時45分。これから再度勉強するには、もう遅いし、しかもいささか酔いすぎている。そこで、我流雑筆を書くことにした。
今回は、私らしくなく、それなりに真面目な内容。がっかりしないで、読んでいただきたい。
近頃、科研費等の外部資金を持ってくる教員がやたらもてはやされている。こういうことに踊らされている連中に対して、露骨に「馬鹿」と言っているのだが、言われた馬鹿は一向に自分が馬鹿であることに気づかない。
「矢島さんのお笑い毒舌がまた始まった」と、落語のジョークのように思っているようだ。
考えていただきたい。戦後を代表する研究者(法学、経済学、政治学、文学、史学、社会学、教育学、心理学、等の研究者)で、文科省を初めとして、政府・自治体・民間から研究資金をもらって研究していた人がどれほどいたであろうか。おそらく、皆無であろう。
資金が問題になるのは、理工系の学問である。豊富な資金がなくては理工系は研究が出来ない。それ故、優秀な研究者に豊富な資金を提供することが、国家にとっては研究の成果を高めることになる。
ところが、その発想が文系にも当てはまるがごとく、当然のように語られ始めた。もちろん、文系であっても、大きなプロジェクトを組んでの研究では、それがグローバル的であろうがローカル的であろうが、資金は必要である。しかし、文系の研究者が一人で研究する分には、もしくは研究会方式で研究する分には、さほど資金はかかるものではない。年間、50万円ほどあれば事足りる。100万あれば十分である。そんな研究者に対してまで、外部資金調達実績で評価しようというのである。
にもかかわらず、文科省の官僚馬鹿が国家政策の必要上で煽り、それに同調する大学経営者馬鹿が大学生き残りで従い、さらにそれに操られて焦りだした研究者馬鹿が飛びつき、こうして出来上がった三重奏馬鹿トリオの結果現象が、正義であるかのように「外部資金獲得」を語り出したのである。
一歩、いや百歩譲って、科研費等の外部資金を取ってくるのは、まあ、良しとしよう。しかし、それらの大半はグループ研究である。代表が取ってくるのであり、メンバーは取ってきた実績にはならない(と思う)。しかし、代表に劣らず研究メンバーはその研究に貢献している。こうした人たちを全て無視しての外部資金獲得実績は、所詮「馬鹿」である。
私の研究領域では、最大のスポンサーは(財)社会安全研究財団である。ここではふんだんに研究助成を行っている。ただし、私はその助成を得ることはない。なぜならば、その助成の審査委員だからである。
さらに私の場合、そんな資金を持ってこなくても、毎年、否が応でも、調査研究の依頼が舞い込んでくる。これの代表として調査するだけで精一杯である。
文系の学者で、かつ大きな研究プロジェクトを組もうなんて考えていない学者であって、外部資金を血眼になって獲得しようなんてのは、他からのお呼びのない研究者である(いささか言いすぎだが、そのくらいに思っておいたほうが問題が明確化する)。そんな者を高く評価してどうするのか。やはり馬鹿である。
こうした様々な矛盾を無視して、理工系研究モデルをあてはめて、大学と研究者を序列化しようという文科省官僚姑息馬鹿に操られる、有名名門大学教員馬鹿は、私に言わせれば、哀れな絶望的馬鹿である。
もっとも、こういうことを書くやつが、一番の馬鹿、最大最高の糞馬鹿、というご意見の方もいることであろう。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆