2003年01月24日

日本犯罪社会学会の自分史(4)

 那須編集長の下3年間編集委員を務め、無事お役ごめんと思いきや、次の松本良夫編集委員長の下で、また編集委員を務めることになった。
結局、27歳から33歳まで、1975年12月から1981年10月まで、計6年、編集委員をすることになった。
その32歳までの5年間は、大学院博士課程そして大学の非常勤講師の時代である。
主な収入源は私塾。既に結婚し、子どももいたので、生活費を稼がなくてはならない。独身者と違って生活が重くのしかかる。
そこで、自宅で補習塾を開き、生活費を稼いでいたわけである。
そんなときでの学会の仕事はかなりきついものであった。年に数回の理事会、同じく年に数回の編集委員会への出席。年に一度の大会出席(2泊3日)。年に数回のニュース発送作業、そして年に一度の機関誌発送作業。その全てに出なくてはならない。
他の委員は、その日にバイトを避けたりキャンセルしてくる。私の場合はアルバイトの塾講師を依頼して出かけなくてはならない。
自腹を切ってバイト代を出して、出かけて行くわけである。もちろん学会の仕事は無給、一銭ももらっていない。
当時は、委員の都合で作業日を決めるなどということはあり得なかった。手伝って当たり前、という時代であった。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆