2002年04月09日

「2ちゃんねる」を見る

 昨日、初めて「2チャンネル」なるものを見た。学部学生から、院生から、そして若手の研究者から、何度か話には聞いていたが、そして「2ちゃんねらー」なる言葉があることも耳に挟んではいたが、見るのは初めてであった。
で、感想は・・・
@何とまあこの量。驚き、桃の木、山椒の木である。見続けて、3時間ほど見てしまったが、それでもごくごく一部、これを見ていたら、一日他のことをやる時間がなくなるであろう。
この「2ちゃんねる」にはまりこめば、「引きこもり」など実に楽にできることだろう。いや、経済的に働かなくていいのであるならば、一生涯引きこもっていられるのではないだろうか。
A内容は玉石混淆である。いやいやそれどころか、玉石泥ヘドロ混交である。玉の人が哀れになる。泥やヘドロに「かっこづけやがって、バカか、お前は」なんて一言で処理されてしまう。
言論の自由というのは、玉も泥やヘドロと同格になるということなのか。泥やヘドロの者が多ければ、民主主義の原理で、泥やヘドロの方が喝采を浴びることになる。これがまさに情報化社会での大衆個人主義の運命であろう。最近はマスコミも石から泥になりつつあるので、なおさらである。
B文章になってない、落書きが実に多い。意味不明のものが半数近くある。これは、事実に基づいての意見表明よりも、単なる感情の羅列が多いからであろう。
「2ちゃんねらー」の人達にはこれで受けているのであるとしたら、まさに「井の中の蛙」であり、2ちゃんねるサブカルチャーであり、2ちゃんねるスラングであり、欲求不満のオナニスト群である。
B絵が描いてあったりする。スペースを多大にとるだけで、ちっとも面白くない。無駄である。
さらにひどいのが、「○○○○



□□□□■■■■」と、無意味な記号が続くものである。数十行、時には数百行と続く。これは無駄以上で、悪意そのものである。
C「社会学」をちらりと除いたのだが、書き込んでいる人は、かなり限定されているようだ。その限定者の見解が「社会学」と思われては心外である。
社会学専攻の大学院生以上ではそんなことないであろうが、学部学生や専門外の人では、「社会学ってこんな学問・こんな世界」と思う可能性大である。
D宮台氏関係の記述の多いことには驚いた。有名人であることは確かだが、これほどとは思わなかった。彼の場合は、このような匿名の言いたい放題の掲示板では、話題にしやすいタイプなのであろう。
しかし、これほどの量となると、宮台氏本人がかわいそうというより、書き込んでいる連中の執拗なまでのしつこさが、一種のストーカーのように思えてくる。
E誰か「2ちゃんねらーの社会学」なんてのを、書く人いないのかねえ。たぶんそのうちでで来ることと思う。いや、私が知らないだけで、もうでているのかもしれない。
posted by 矢島正見 at 00:00| 我流雑筆