2020年08月09日

手塚治虫(その3)

 最後に、手塚治虫の最大の失敗であるが、それはテレビアニメの制作に手を出したことである。優れた漫画家ではあったが、だめなアニメーターでもあった。しかも、膨大な借金を抱えて倒産した。
 ディズニーに憧れてアニメを作りたくて漫画家となり、最終的にはアニメ映画をという彼の夢それ自体が失敗を導いたと言えよう。
 彼が60歳で尽き果てた一因はアニメを手掛けたことにあるのではないだろうか。「まんがの神様」だけだったら、もっと長生きしただろうし、評価ももっと高かったであろう。

 どだい、週に一度の30分番組のテレビアニメをつくること自体が当時としてはおかしかった。テレビ局の陰謀としか言えない。1960年代当時のアニメ制作技術では無理なことである。それを承知で、それでもテレビアニメを創りたかったという欲望が失敗の根本である。
 したがって、手塚アニメ以外でも、当時のテレビアニメの大半は失敗作である。大半が手抜きの粗雑品である。
 (なお、手塚には劇場版のアニメがあるようだが、それは観ていないので、何とも言えない。)

 私として評価し得るテレビアニメの成功例は、1970年代後半以降の作品である。『はじめ人間ギャートルズ』や『未来少年コナン』や『まんが日本昔ばなし』等である。
 『はじめ人間ギャートルズ』は、登場人物を限りなく限定させ、背景の描写を限りなく省略した成功例である。『未来少年コナン』は、なんといっても宮崎駿であろう。

 そして『まんが日本昔ばなし』はアニメではなく、テレビ絵本である。画の執筆者も各週で違っている。登場人物の語りも、むかし話の語り調である。これならば、成功する。目の付け所が今までのテレビアニメと全く違う。テレビの紙芝居である。逆に言えば、紙芝居そのものをテレビアニメとして再現したものである。ルーツは紙芝居であり、既存のテレビアニメではない。そこがまさに革命的であったのである。
 馬鹿なことに、日本アニメは世界一とか自画自賛しているようだが、宮崎駿以降、画期的な変革(アニメの革命と言ってもよい)がアニメにはない。それがまさに衰退である。専門家には技術で評価され、収益では若者に迎合して稼いでいるだけである。(2510)
posted by 矢島正見 at 00:29| 我流雑筆