2020年07月25日

「シルクロード」の驚き

 NHKの「シルクロード」がテレビで再放送されていた。第一は観なかったが、第二、第三と観た。第三は敦煌、莫高窟である。そこで、驚いた。新しい発見であるが、「やはり」と思った。ただし、「シルクロード」とは関係ないことである。

 難聴になり、補聴器をつけている。そうしてテレビを観た。石坂浩二のナレーションと宇野重吉による井上靖の詩の朗読で語りは構成されている。以前観たときには、石坂浩二の淡々としたナレーションと宇野重吉の味わいのある詩の朗読はまったく異なるものとして耳に入ってきた。
 ところが、今回聞いて、その区別が全く分からなかった。どちらも同じように聞こえるのだ。聞こえないというのではない、何を言っているのかはわかる。しかし、両者の区別がつかないのだ。
 これは補聴器の限界と理解した。音は聞こえるように機械化されてはいても、音質を区別するほどには機械化されてはいない、ということである。

 これでようやく理解できた。テレビで歌を聞いても、その歌手の個性が分からなくなってきていること、さらにそれだけではなく、高音も低音も捉えられないので、皆、ひらべったく歌っているということ、つまり、へたくそに歌っているとしか聞こえてこないことである。もはや、三橋美智也の高音の魅力も、フランク永井の低音の魅力も分からない、ということである。
 私がカラオケで音痴になっていったのも、これで理解できる。補聴器を付けるとよく音が聞こえるが音調が分からない。補聴器を外すと音自体が聞き辛い、という状態である。もっとも、もう半年近くカラオケに行ってないが。(2504)
posted by 矢島正見 at 13:04| 我流雑筆