2020年07月31日

『火の鳥』

 ちばてつや『紫電改のタカ』(全4巻)を丸一日かけて一気に読んでしまったと、(2490)にて書いたが、今度は、手塚治虫の『火の鳥』(豪華版、角川書店)を五日間かけて読んでしまった。「やめられない・とまらない」のかっぱえびせん症候群である。

 『火の鳥』は完全に大人のマンガである。ストーリーから構成まで、極めて完成度が高い。ませた中学生ならば、面白く読むかもしれないが、まずは高校生以上の方にご推薦である。
 しかし残念なことに、全12巻中、読んだのは、「3巻 ヤマト編・異形編」「4巻 鳳凰編」「5巻 復活編・羽衣篇」「第7巻 乱世編(上)」「第8巻 乱世編(下)」「第9巻 宇宙篇・生命篇」「第10巻 太陽篇(上)」「第11巻 太陽篇(下)」である。「第1巻」「第2巻」「第6巻」「第12巻」がないのである。
 この本は、私が買った記憶がない。おそらく長男が購入したものであろう。となると、長男の家にあるのかもしれない。

 なお、wikipedia「火の鳥」には、
「最初に連載されたのは1954年(昭和29年)、学童社の『漫画少年』の「黎明編」だったが、学童社はその後約1年ほどで倒産し、この「黎明編」は未完に終わる。 その後、1956年に雑誌『少女クラブ』に「エジプト編」・「ギリシャ編」・「ローマ編」が連載された、そこから期間を空け、1967年に雑誌『COM』に新しく書かれた「黎明編」から複数の編が連載され、同誌は休刊になる。1976年には、雑誌『マンガ少年』で「望郷編」から「異形編」が連載されたが、同誌も休刊して1986年に『野性時代』で「太陽編」が連載された。」
と書かれている。(2505)
posted by 矢島正見 at 11:25| 我流雑筆

2020年07月25日

「シルクロード」の驚き

 NHKの「シルクロード」がテレビで再放送されていた。第一は観なかったが、第二、第三と観た。第三は敦煌、莫高窟である。そこで、驚いた。新しい発見であるが、「やはり」と思った。ただし、「シルクロード」とは関係ないことである。

 難聴になり、補聴器をつけている。そうしてテレビを観た。石坂浩二のナレーションと宇野重吉による井上靖の詩の朗読で語りは構成されている。以前観たときには、石坂浩二の淡々としたナレーションと宇野重吉の味わいのある詩の朗読はまったく異なるものとして耳に入ってきた。
 ところが、今回聞いて、その区別が全く分からなかった。どちらも同じように聞こえるのだ。聞こえないというのではない、何を言っているのかはわかる。しかし、両者の区別がつかないのだ。
 これは補聴器の限界と理解した。音は聞こえるように機械化されてはいても、音質を区別するほどには機械化されてはいない、ということである。

 これでようやく理解できた。テレビで歌を聞いても、その歌手の個性が分からなくなってきていること、さらにそれだけではなく、高音も低音も捉えられないので、皆、ひらべったく歌っているということ、つまり、へたくそに歌っているとしか聞こえてこないことである。もはや、三橋美智也の高音の魅力も、フランク永井の低音の魅力も分からない、ということである。
 私がカラオケで音痴になっていったのも、これで理解できる。補聴器を付けるとよく音が聞こえるが音調が分からない。補聴器を外すと音自体が聞き辛い、という状態である。もっとも、もう半年近くカラオケに行ってないが。(2504)
posted by 矢島正見 at 13:04| 我流雑筆

2020年07月22日

『敦煌』

 さらに井上靖『敦煌』を読んだ。とは言っても、両者の間には随分開きがある。『楼蘭』は新コロナウィルスが騒がれる前、そして『楼蘭』はイタリアにて猛威をふるっている時期である。
 これも一度読んだものである。どうも、新しい小説を読む気になれない。読みたいという小説がないのだ。文庫本よりも新書版のほうが良い。物語よりも、事実が書かれているほうが良い。自然科学系が良い。人の歴史であっては、歴史小説よりも歴史書のほうが良い。
 『敦煌』は長編小説である。やや登場人物が大げさに描かれているが、また常識からすると至極おかしなところはあるが、絶品である。文章がうまいのだ。

 そのおかしなところを提示してみる。
 最初の出だしがおかしいのだ。これで、「何だこの小説は」となってしまっているのだ。物語の創り過ぎである。
 主人公は32歳になって、ようやく進士への中央の最終試験を受けられることになる。幼少の頃から学問の道を歩み、地方で何度かの試験を受け、合格し、ついに最頂点への試験を受けることになる。しかし、不合格。ここから、西域への生涯に渡る旅が続く。

 しかし、幼少の頃から学問に打ち込み、地方の試験を何度か受け、ようやく32歳になって宋の都での最終試験を受けるまでには、一族郎党の大変な援助を受けていなくてはならない。おそらく地方の豪族ほどの名家か地方高官の名門の者でなくては、こうはいかない。にもかかわらず、故郷のことも一族のこともひと言も書いてなく、親や兄弟姉妹を想う描写もなく、物語は進んでいく。

 また、中央の科挙の試験に不合格であっても、地方では高位の官吏の資格はもっているはずである。一族の元に戻れば、地方では高い位の役職が保障されているはずである。にもかかわらず、それさえ一文も書かれていない。その点、どう考えても納得し得ないのである。歴史の常識を土台としていない。一見歴史小説的ではあるが、歴史小説とは言えない。

 しかも、官吏として最高峰を目指していたにもかかわらず、突然西域の地と文化に魅せられ、放浪の旅に出かけるという性格。さらに死すらも恐れない性格。これはどう考えても、徹底した厭世主義者であり、ニヒリストである。しかし、そんな風に主人公を描いていない。

 私ならば、高名な文人の出来の悪い息子(日本人で例えるならば、中原中也や太宰治といったイメージ)が都で遊び惚けて、親から勘当されてしまう、という書き出しで始めたのだが…。
 つまり、「国家公務員T種不合格者」ではなく、「作家・画家崩れ」が新しいものを求めて、いわゆる精神的刺激を求めて、もしくは西域の女を求めて、放浪の旅に出ると、このように物語の始まりを描いた。
 こちらのほうが、つじつまが合う。(2503)
posted by 矢島正見 at 11:21| 我流雑筆

2020年07月19日

『楼蘭』

 井上靖『楼蘭』を読む。一度読んだのだが、いつ頃のことか定かではない。しかし、文庫本の紙が黄土色に変色していること、文字が小さいこと、そして昭和52年5月の刷であることからして、20代の終か30代の初め頃だと思う。
 さらに記憶では、スウェン・ヘディンの『彷徨える湖』を読んで感動し、その続きとして読んだ気がする。とにかく面白くて、夢中になって読んだ記憶がある。
 好きな作家のひとりであるが、それほど読んではいない。最初に読んだのは『あすなろ物語』で、高校生か大学生の頃である。そして、『風林火山』『蒼き狼』『楼蘭』『敦煌』『天平の甍』『しろばんば』『ある偽作者の生涯』『真田軍記』『崑崙の玉』『おろしや国酔夢譚』『補陀落渡海記 井上靖短篇名作集』と、こんなところである。

 12編の短編が収められている。みな秀作である。主に西域が舞台である。歴史書や学術書に基づいての記述は史伝的であり、古代の物語から発想を得てのストーリー展開は、芥川風の西域版である。
 ただし、西域を舞台としての短編は6編であり、他の2編はスリランカ、2編は日本の歴史小説であり、1編は日本の明治期、1編は昭和期の短編である。最後の4編は今までと異なり違和感がある。特に、最後の1遍は、何故ここに加えたのか、不思議である。
 なお、「小磐梯」は、明治21(1888)年の磐梯山大噴火のことが書かれている。この噴火のことは知らなかった。ネットで調べてみると、かなりの大噴火である。

 文中の地名とその位置については21頁に西域の地図があり、西域小説では、読むにあたり実に便利であった。さらに、「後漢献帝(西暦一九○−二一三年)の末期」等の記述は、読者にとっては実にありがたかった。

 書評は難しい。文体は決してやさしくはない。しかし、読ませる文体である。例えば…
 「往古、西域に楼蘭と呼ぶ小さい国があった。楼蘭が東洋史上にその名を現して来るのは紀元前百二、三十年頃で、その名を史上から消してしまうのは同じく紀元前七十七年であるから、前後僅か五十年程の短い期間、この楼蘭国は東洋の歴史の上に存在していたことになる。」
と、こんな具合である。名文である。
 ただ、「創り過ぎ」という感がする。「書き過ぎ」と言ってもよい。以前読んだ時には、そのような感じは無かったのだが、歳をとると、書き過ぎに抵抗感が出てくるようだ。例えば、上記の「小磐梯」では、心中に来た男女は不要である。田畑測量の一行だけの登場でよい。
 井上靖だけでなく、作者の思い入れが強いとどうしてもそうなってしまうようだ。(2502)
posted by 矢島正見 at 01:28| 我流雑筆

2020年07月16日

『ビギナーズ 犯罪法』

 守山正・安部哲夫編著『ビギナーズ 犯罪法』(2020)を読む。全500頁ほどの充実した書となっている。
 守山氏は、実に精力的に活躍している。守山正・安部哲夫編著『ビギナーズ 刑事政策』(2008)、守山正・後藤弘子編著『ビギナーズ 少年法』(2009)、守山正・小林寿一編著『ビギナーズ 犯罪学』(2016)、そして今回の書である。「ビギナーズ」シリーズは、これからも出されるのであろうか。

 『犯罪法』とは、聞きなれない用語であるが、「第1講 「犯罪法」総説」を読むと、なるほど、と納得がいく。英米法の「criminal law」は確かに「刑法」ではなく「犯罪法」である。「刑法」は「penal law」のほうが適切であろう。そんな風に思えてしまう。
 『刑法各論』を、本書のように「penal」ではなく「criminal act」に視点を当て、類似の犯罪類型を構成して、それに該当する多くの法律から同一類型の犯罪を論考する、というスタイルは、今までとは異なった趣を与えている。
 読み応えのある、それでいて、意外に読んでしまう、面白い一つの試みである。しかし、「刑事政策」でもない「犯罪学」でもない、やはり「刑事法」の書である。(2501)
posted by 矢島正見 at 13:10| 我流雑筆

2020年07月12日

書き込み2500回

 「我流雑筆」の現在のアクセス回数は200,884回。そして書き込みの回数は2500回に達した。よくもまあ続いたものである。
 この分では、ボケるまで、読むことと書くことは続くのではないだろうか。(2500)
posted by 矢島正見 at 18:30| 我流雑筆

2020年07月10日

『浮世絵尽くし』

 『浮世絵尽くし―横山実の浮世絵随筆集―』を読む。横山氏から送られてきた。
 横山氏は犯罪社会学者でありつつ、浮世絵収集家であり、浮世絵研究家である。その氏が折に触れて書いた随筆を集めた書籍である。
 全92頁という小冊子風ではあるが、上質の紙を用いて、浮世絵がカラーで掲載されている。実に贅沢な書である。
 内容は、浮世絵に関する自分史とイベント開催の追憶記、そしてある浮世絵をその道の専門家が本物として鑑定したことに対しての疑問・批判と、多岐にわたっており、一冊にまとまると読み応えがある。素人の私にとっても、偽であるか否かの論述は推理小説風であり、極めて挑戦的な興味深い内容となっている。
 しかし、もっと贅沢にしていただきたかった。大半の浮世絵が小さすぎる。ここまでやったのだから、さらに、絵の配置を工夫しながら、掲載の浮世絵をもっと大きく提示して、鑑賞にも耐えられるものにして欲しかった。「読む」だけでなく「観る」という本であってほしかった。全150頁くらいになっても、豪華版にしていただきたかった。
 なお、横山氏の解説付きで『横山実所蔵浮世絵』を豪華版で出すのもよいと思う。
 蛇足ながらひと言。誤字脱字が11カ所見つかった。雑誌の編集を長年行なってきているので、悪い癖がついてしまい、ついつい誤字脱字が気になって数えてしまう。ご海容のほどを。(2499)
posted by 矢島正見 at 18:46| 我流雑筆

2020年07月06日

記憶喪失、そして怪我

 怪我をした。おでこの右にたんこぶが出来、内出血した。
 夜、と言っても8時ごろ、酔って家路を歩いた。途中、しばし休息をと思い、寺の石段を登り、荷物を石段に置いた。
 そこまでは記憶がある。言い換えれば、そこから記憶が無くなった。
 気づいたとき、頭が痛いと思った。ハッと目覚めたのではなく、朦朧として、しばらくの間、「頭がいてえな」と思いながらも、ボーッとしていた。そして、ようやく目を開けた。
 一瞬「ここはどこだ」と思った。草の中にいた。仰向けになって横たわっていた。そしてようやく思い出した。
 頭を起こすと、胸から上は草の土手で、胸から下は石段だった。おでこをさすってみると、大きなこぶができていた。
 荷物を持って、よたよたと石段を下りて、家路に着いた。記憶を失ってから家路に着くまで、およそ1時間ほどであった。
 荷物を置いて、さて座ろうか、とその時に、足を踏み外したのかもしれないし、荷物を降ろして、頭を上げたときに立ち眩みに陥ったのかもしれない。いずれにせよ、「バカは死ななきゃ治らない」と同じに、「酔っ払いも死ななきゃ治らない」である。(2498)
posted by 矢島正見 at 23:29| 我流雑筆

2020年07月03日

『近代都市下層社会 T U』

 草間八十雄著・磯村英一監修・安岡憲彦責任編集『近代都市下層社会 T U』を読む。
 『近代都市下層社会 T 売笑婦、寄子、被差別部落、水上生活者』(1990年)、『近代都市下層社会 U 貧民街、浮浪者、浮浪児・貧児』(1990年)、全二巻・総頁数1492頁。

 『近代下層民衆生活史 T U V』の続編である。今回は、復刻版ではなく原本を編集し直してあるので、きれいな活字であり、新漢字・新仮名使いなので、読み易かったが、字数が詰まっているので、文字数からすれば、『近代下層民衆生活史』とほぼ同じである。
 内容が多分に重なっているが、こちらのほうでは新しいデータも含まれており、今までのデータの積み重ねで論じられている。
 基本的な知識は既に『近代下層民衆生活史 T U V』で理解していたし、大まかなデータと時代状況が分かっていたので、本書は復習・再理解ということで、新しい発見はさほどなかったが、理解を深めることでは最適であった。

 最初に読んだ『近代日本のどん底社会』は、これら全三巻と全二巻とを合体させ再編集した、面白いところ取りの書籍だったのだ。

 この草間八十雄の全集は、ぜひ読みたいと思いつつ、とても手が出ず、どうしようもなく、放置していたものであるが、『社会学としての犯罪社会学』の執筆を完成させたので、ほっとして、しかも、新型コロナウィルスの騒ぎで、家でゴロゴロしていなくてはならなくなったので、「それならばいっそのこと、この間に読み切ってやれ」とばかりに、読み始めたのである。
 この時期、時間ができたならば、その時間を無駄にせず、日頃できないことを大いにやるべきである。特に高校生や大学生は。もし、私が高校生で、この時期に直面したとしたら、日本文学全集全巻を読み切る、といった考えに囚われたのではないだろうか。

 なお、読み始めたのは4月18日、読み終えたのは6月5日。ほぼ50日間かかった。約4000頁を50日間なので、平均一日80頁である。もちろんその間、いろいろな雑務に追われている。(2497)
posted by 矢島正見 at 12:37| 我流雑筆

2020年07月02日

『近代下層民衆生活史 T U V』

 草間八十雄著・磯村英一監修・安岡憲彦責任編集『近代下層民衆生活史 T U V』を読む。
 『近代下層民衆生活史 T 貧民街』(1987年)、『近代下層民衆生活史 U 娼婦』(1987年)、『近代下層民衆生活史 V 不良児、水上労働者、寄子』(1987年)、全三巻・総頁数1933頁。
 様々なところで執筆した、調査報告・実状報告・講演記録・解説・書籍・等を集大成した復刻版である。
 同じ記述が至るところに出てくる。復刻版である故、印刷がかなり悪く、旧漢字・仮名であり、隠語が多出し、実に読み辛かった。(2496)
posted by 矢島正見 at 13:40| 我流雑筆