2020年04月16日

「順機能、機能不全、逆機能」―新型コロナウィルス対策・その3

 新型コロナウィルス撲滅に向けての社会的活動は、社会システムの崩壊を防ぐためには発動しなくてはならないものであり、それは社会にとって順機能である。「接触8割減要請」も「出勤7割減要請」も、そのために政府が発動した具体的政策である。
 もし、それらが達成できず、パンデミック状態が長く続くのであれば、それは社会の機能不全を導くものであり、機能不全の行き着くところは社会崩壊である。
 全世界で数億人の人が感染し、数千万人の人が死んだという「スペイン風邪」の再来である。日本の場合で言うのなら、感染者2380万4673人(当時の日本の人口は5500万人なので、感染率は43.3%)、死者は38万8,727人で、致死率は1.63%。(ウィキペディアより)

 ところが、この順機能を強化し、より一層推進していくと、それに伴い、必然的に逆機能が発生する。そして、順機能を強化させればさせるほど、逆機能も強化される。このような状態は、逆機能の視点からみるならば、過剰順機能となる。つまり、撲滅政策のやり過ぎである。

 新型コロナウィルス撲滅に向けての社会的活動の強化は順機能の強化である。そしてその強化は、経済活動の低下・不況という逆機能を発生させる。これは必然的なことである。
 「出勤7割減要請」も「企業活動の一部停止・全面的中止」「各種イベント開催の中止」「海外からの・海外への渡航自粛」も、新型コロナウィルス撲滅(実際には完全な撲滅は不可能だが)という順機能にとってはきわめて効果ある政策ではあるが、経済活動ということでは大きな問題となる。
 順機能の完全な発揮・完全な効果達成は逆機能の完全な負の効果達成でもある。この行き着くところは、やはり社会崩壊である。つまり、全世界の経済活動の崩壊である。

 またさらに、順機能の強化は、人びとの快適な生活にとっても逆機能となる。
 社会にとっての経済活動の制限は個々人にとっては収入活動の制限である。また、接触の制限は、個々人に対しての余暇活動の制限であり、学校教育の停止である。
 このように、今までの日常行動の制限は人びとにとっては逆機能となる。順機能の強化は、個々人の生活の逆機能となるのである。

 完全に順機能を達成させようとするならば、感染者をすべて殺し、クラスターにいる人びとをすべて殺し、検査を迅速にかつ徹底して感染者を探し出し、すべて殺せばよい。
 とんでもないこと、とお思いであろう。しかし、新型ウィルスが発生するたびに、政府は何十万羽の鶏を殺し、何万頭の豚を殺したのである。その時は、こうした政策を当然のこことして人びとは受け入れた。「とんでもない」などといった政治家もニュースキャスターも、一人もいない。

 しかし、人間に対しては、そのような政策は採れない。したがって、完全な順機能からの政策ではない、ほどほどの政策が必要となる。
 どのようなを経済活動をどの程度停止させるのか、どのような生活活動をどの程度停止させるのか、人びとに対してどれほどの制限と我慢を要請するのか、そこが最大の政策課題となる。
 新型コロナウィルス対策と経済活動政策と個人生活政策をバランスよく保つ最適値を定めなくてはならないのである。
 こうして政府の政策として提示されたのが、「緊急事態宣言」であり、「接触8割減要請」であり、「出勤7割減要請」である。

 日本の最適値と各国それぞれの最適値には、それなりのずれがある。それは国ごとのウィルスの蔓延状況の違いであるし、経済への考慮・生活への配慮の違いでもある。
 果たして、どの程度の最適値の設定が正しかったのか、そしてそこから導かれた政治的決断がどれ程正しかったのかは、今現在だけでなく、その後も、分からないことであろう。
 A・B・Cという選択のなかからAを選んだ場合、Aの結果はわかる。しかし、Bを選んだ場合とCを選んだ場合は、「もしも」という歴史的推測でしか表せないからである。
 比べるとしたら、各国の政策とウィルスの収束の比較考察であろうが、各国の政治経済文化状況や国民性が異なっているので、政策⇒収束という単純にして科学的な因果関係の析出は無理であろう。(2463)
posted by 矢島正見 at 17:54| 我流雑筆