2020年02月15日

『ビッグ・クエスチョン』A/4

 しかし、それでも面白い。ビッグバンの始まりは特異点。素粒子よりも小さな点から始まった。無限大の密度をもった一点である。ビッグバン以前には、時間も空間もない。
 空間がないということは、まったくの無である。空間の中に何もない、ということとは全く違う。
 時間がないということは、過去も現在も未来もないということであり、因果関係が成立しないということだ。したがって、「何故ビッグバンが起こったのか」という問はナンセンスである。それはビッグバンによって時間が出来た以降の問でしかない。ビッグバン以前に、その原因を問うことはできない。原因と結果は時間があるからこそ、成立するのだから。

 ブラックホールについては、「我流雑筆」の『宇宙はなぜブラックホールを造ったのか』(2361)で述べた。
 再度確認することは、ブラックホールにも時間と空間がないということだ。ブラックホールの入口は入る直前まで未だブラックホールではないので時間がある。ブラックホールの出口も出たところからはブラックホールではないので時間がある。その間は時間も空間もない。不思議である。人間で例えるならば、物を食べた。それはわかる。ウンコが出た。それもわかる。その間がわからない、ということだ。
 だいたい、ブラックホールには出口があるのだろうか。あるとして、出口と入口は同じなのではないか、いや、もしかしたら出口は外宇宙にあるのではないだろうか。そうなると、ブラックホールは現宇宙と他宇宙との繋ぎということになる。

 ところで、「エントロピー」というのが、どうもわからない。無秩序だとか、無秩序の量子・エネルギーだとか、宇宙を無秩序としての力学だとか。さっぱりわからない(ネットで検索してもわからない)。
 わかることは、宇宙物理学と量子力学とが、学問的には限りなく接近しているということだ。とてつもなく巨大な領域の学問ととてつもなく微小な領域の学問との二つが統合化しないと、宇宙の真の解明はできない、ということだ。気の遠くなるような学問である。

 欲を言えば、宇宙誕生の137億年前(138憶年前と書かれていることもある)から現在に至るまでの宇宙史、ビッグバン初期の状態、特に物質と反物質との関係、水素とヘリウムの発生、そして銀河の生成という宇宙史が欲しかった。
 また、全宇宙の80%以上を占めるダークマター(ダークエネルギー)についての解説が欲しかった。
 さらに無いものねだりで言えば、これからの宇宙の予測。太陽系の滅亡、銀河の滅亡、宇宙の滅亡を描いて欲しかった。(2438)
posted by 矢島正見 at 17:26| 我流雑筆

2020年02月13日

『ビッグ・クエスチョン』@/4

 スティーヴン・ホーキング『ビッグ・クエスチョン―〈人類の難問〉に答えよう』を読んだ。これは次男から借りた本である。以前、『ホーキング 宇宙を語る』を読んだことがある。
 「すごい」と思った記憶はあるが、それ以前も、その後も、宇宙に関しての書籍やらテレビ番組をかなり読んだり・観たりしているので、情報が重なり、内容の記憶があいまいである。ビッグバン、ブラックホール、多次元宇宙、ひも理論、等が解説されていたように思う。
 今回のこの本は、正直、『ホーキング 宇宙を語る』より劣るような気がする。それ以降、宇宙に関しての様々な本を読んだので、ショック度が緩和されたからなのかもしれないし、本書がやや俗的な人びとの関心に答える・応えるという方向性を示しているからなのかもしれない。
 前半は宇宙論、後半は「タイムトラベルは可能か」「宇宙に植民地を建設するべきなのか」といった、俗的な人々の関心への見解で構成されている。前半はかなり難解である。整理されて書かれているのではなく、学説史的に書かれているからである。(2437)
posted by 矢島正見 at 11:54| 我流雑筆

2020年02月07日

『縄文時代の歴史』A

 実に面白いので、今少し書く。

 ヒトが日本列島にやって来たのは、およそ4万年から3万8千年前とのこと。当時は最後の氷河期。海面は現在より100メートルほど低い。北は氷の海であり、北海道はサハリンや大陸と繋がっていた。(ただし、本州とは繋がっていない。津軽海峡の潮流が激しかったからだ。よって、北海道の縄文文化は本州のそれとはやや異なる。)また、瀬戸内海はなく、本州と四国と九州は繋がっていた。

 縄文の始まりは16,500年前。草創期は16,500〜11,500年頃まで。この間は旧石器時代と縄文時代との移行期(混在期)。移行期が5,000年ほどあることになる。なお、縄文時代は新石器時代であり、日本固有の名称である。(世界的に珍しい文化である。)

 当時の日本は寒冷期であり、針葉樹林におおわれていた。マンモス、ナウマンゾウ、オオツノジカという大型哺乳類が生存していた。(マンモスが日本にもいたのかと、疑問だが、書かれている。)

 温暖になってきたのは、11,500年頃で、草創期の終わり、早期の始まりである。東日本では落葉広葉樹林(ブナ、ナラ)が、西日本では照葉樹林が広がっていった。大型哺乳類は絶滅し(何故絶滅したのかは書かれていない)、イノシシやニホンジカが登場する。早期の縄文人の人口はおよそ2万人。(ということは、草創期では数百人から数千人か。その程度であろう。)

 縄文早期には、ヒトは犬と既にパートナーを組んでいた。猟犬である。しかし、弥生時代になると、ヒトと犬との関係は異なってしまう。犬は食料とされたのである。(水田に犬は不要というわけだろう。弥生人は犬を裏切ったわけだ。徳川五代将軍がその頃いなくてよかった。)

 温暖化は、約7,000〜5,900年前がピークであり、海水面は現在よりも2.5メートルほど高かった。その頃、東京湾は栃木県まで続いていた。また、利根川と霞ヶ浦はひとつになっての入り江であり、房総半島は本州から切り離され、ほぼ島となっていた。

 縄文時代の人口は中期(5,470〜4,420年前)が最も多く、26万人を越えていた。分布は東日本(中部・東海以東。ただし北海道は除く)に圧倒的に多く、推定人口22万7,200人、西日本(近畿以西)の推定人口は9,300人であった(ということは、北海道は2万5千か)。西日本は極めて少ない。弥生人が西から入り込んで来るのには実に都合が良かったということだ。

 およそ4,300年前頃に冷涼化し、東日本の縄文人の人口は激減した。(西日本ではいくらか増えている。)

 縄文文化から弥生文化への移行は地域によって全く異なる。北九州では3,000年前に既に弥生文化圏であり(弥生時代の始まり)、関東・中部では弥生時代中期中葉(紀元前200〜紀元0年)以降に弥生文化圏となり、東北地方以北では弥生文化はない(多分、古墳文化もないのではないだろうか)。東北地方以北では縄文以降は天皇支配の律令制国家に組み込まれる。

 北海道では、弥生時代ではなく続縄文時代と言う(のちのアイヌ文化であろう)。

 日本人のDNAの12%は縄文人。(少ないようだが、そもそも縄文人が晩期では10万人を割ってしまったくらいに少なくなってしまったのだから、それを考えると多い。)

 以上である。(2436)
posted by 矢島正見 at 12:13| 我流雑筆

2020年02月03日

『縄文時代の歴史』@

 『縄文時代の歴史』を読む。一般向けの書ではあるが、かなり高度な内容である。論述の構成も優れており、論考が体系化されている。また、細やかな文献提示がなされている。申し分なく、専門書・学術書である。
 縄文時代と縄文文化の多様性は複雑で理解しがたいが、旧石器時代からの5000年間の移行期(縄文時代草創期)から弥生時代との移行期期までの長い期間での時代・文化の推移がよくわかる。長く見積もれば、縄文時代は1万4千年続いたのである。
 さらに、寒冷期から温暖期にかけての気候変動と人々の暮らしの変容もわかる。寒冷で海面が100メートル下がれば、それなりの自然が出来、人はそれなりの生活をして、温暖で海面が100メートル上昇すれば、それなりの自然が出来、人はそれなりの生活をするものである。
 しかも、温暖化は徐々にやって来るものではない。50年という短期間に、温度が7〜8度も上昇することすらある。これには驚いた。
 現代社会・現代人よりも縄文社会・縄文人のほうが適応力は優れていたということのようである。今の時代、海面が100メートル上昇したら、世界中がパニックに陥る。1メートル上昇するという推定だけで、正義のイデオロギストやマスコミは叫び続けているのであるから。(2435)
posted by 矢島正見 at 21:47| 我流雑筆