2020年01月31日

ことぶきゆめ会議

 ひと月に一度、横浜ことぶきにて会合が開かれる。正式名は「寿地区地域福祉保健計画推進会議」であるが、通称「ことぶきゆめ会議」と称している。
 ことぶき地区にてボランティア活動をしている諸団体が一堂に会する場である。様々な団体からの活動や予定が報告される。
 ふた月に一度は昼食が出る。今回は1月ということで雑煮が出た。さらに善哉まで出た。残念なことに、若年・壮年・中年の方はよく食べるが、私のような老年・衰年の者は、とてもではないが多くは食べられない。

 いつも、その後、ことぶき健康福祉交流センターに立ち寄る。1階はたまり場的空間であり、テレビを観ている人、碁や将棋を打つ人、さらに図書室があるので、そこで読んだり借りたりする人、等でにぎわっている。私の場合は、将棋の局面を覗いたり(みなさん、なかなかの腕前である)、図書室(それなりに本がそろっている)で本を読んだりするが、大半は自前の本を片隅に座って読む。
 2階には、会議室やいくつかの団体の事務室があるが、そのひとつである「横浜市ことぶき協働スペース」に行く。ここには、ことぶきに関しての文献がそろっている。
 本日は、その中の(公財)寿町勤労者福祉協会篇『寿のまちとともに―設立40周年記念誌』と大倉直『命の旅人―野本三吉という生き方』(現代書館)を読んだ。さらりと読んだのだが、それでもそれなりの時間を費やした。
 野本さんとは40年近く前に知り合ったのだが、最後は沖縄大学の学長として終えている。大したものである。秀才のエリートで、実行力・指導力があり、純粋で反逆的で、官僚的な組織主義の大嫌いな方だった。(2434)
posted by 矢島正見 at 22:53| 我流雑筆

2020年01月27日

『絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか』A/2

 それはともかくとして、DNA研究が進み、この分野の新たな発見がなされ、定説が覆されるというのは、実に面白いことである。

 ネアンデルタール人とホモサピエンスは交配していたのである。つまりセックスしていたのだ。その多くは強姦かもしれない。
 黒人に交配はまったくみられない。最も交配が多いのは白人である。要するに、ホモサピエンスがアフリカ大陸を出てから、既にユーラシア大陸に定住していたネアンデルタール人との交配が始まったのである。

 ネアンデルタール人はホモサピエンスによって滅ぼされた。食糧豊富な地から駆逐され、あるいは殺され、あるいは餓死して、滅亡した。生存競争に敗れたのである。
 アジアに数十万年前からいた人類(たとえば、ジャワ原人や北京原人)もホモサピエンスによって滅ぼされたのかもしれない。
 ジャワ原人や北京原人が天敵によって絶滅したとは考えられない。病原体によっての絶滅も可能性は低いであろう。そうなると、急激な気候の変化かホモサピエンスしか、考えられないのである。(2433)
posted by 矢島正見 at 18:49| 我流雑筆

2020年01月24日

『絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか』@/2

 『絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか』を読む。このような類の本は大好きである。ロマンがある。「人間」だとか「男性・女性」など出て来ない。出てくるのは「人類」であり、「ヒト」であり、「オス・メス」である。それがいい。

 本書は、チンパンジーと人類が分かれてからの700万年の歴史、それをわかりやすく(素人の私でもわかるように)紐解いている。

 700万年の間に様々な人類が登場し、そして滅んでいく。絶滅していく。環境に適応できず滅びることもあれば、ある環境から追い出された故に、生き延びた人類もいる。
 そして、「ヒト(ホモサピエンス)」以外の人類は「ヒト」との生存競争に敗れて、滅んでいった。
 「ホモサピエンス」の繁殖は異常である。ホモサピエンスの登場により絶滅した動物は、知られているだけでも実に多い。

 ヒトは10万年も前から、動物を絶滅させるほどに、狡知を働かせて殺していたのである。
 アメリカ大陸に白人が侵入し、インディオを殺し、バッファローを絶滅寸前にまで激減させたが、それより数万年前に侵入したインディオの祖先は、さらに多くのアメリカ大陸にいた動物を絶滅させているのである。
 今頃になってくじらだけ御寵愛したところで、懺悔の値打ちも無かろう。

 大型雑食動物として他の動物の生存を脅かすことのない数は、せいぜいが750万頭(もしくは匹)である。ホモサピエンスはこれよりも1000倍以上多い(現在75億以上。近いうちに80億)。

 となると、真のヒューマニズムとは、ヒトの数を1000分の1に減らすという正義の行動であろう。少子高齢化大いに結構。日本の人口は12万人が適正。人類史での実に皮肉なパラドックスである。
 
 『天空の城ラピュタ』のように、高度な文明を捨てて新石器時代に戻ることこそが、これからのヒトの社会の在り方なのかもしれない。このことが、数百年をかけて平和裏に進めば実に結構なことである。
 全世界のヒトが子どもを一生に一人生めば、次の世代では40憶人、10世代頃に750万人となる。およそ300年後である。
 日本の人口が12万人とすると、縄文時代前期末・中期初である。

 しかし、そうならないのがヒトの歴史である。行き着く先まで行かない限り歴史は変わらないというのが、弁証法の歴史観である。
 そうなると、『ナウシカ』のように、一度ヒトが絶滅寸前になるほどの経験を味あわなければならないのかもしれない。ヒトの運命を掛けた史上最大の弁証法の展開である。(2432)
posted by 矢島正見 at 22:53| 我流雑筆

2020年01月20日

『反日種族主義―日韓危機の根源』

 『反日種族主義―日韓危機の根源』を読む。
韓国でベストセラーとなり、韓国民からの総批判を受けたという書の翻訳本であり、日本でもベストセラーとのこと。どんな本か、一読してみた。

 なかなか面白い本であるし、ここに書かれていることはほぼすべて正しいであろう。特殊領域正義イデオロギストがいかに危険な存在であるかがよくわかる書である。しかも、国家が長い間それを推進してきたとなるとなおさらである。

 北の場合は、独裁者は大問題であるが、南は政治家も研究者も教育者も人々も全て問題である、と言わざるを得ない。ある種の集団ヒステリー状態に陥っている。
 そして、そのような南と日本はよく似ている。日本でも、慰安婦問題のイデオロギストの研究者を祭り上げ、新聞は独善的正義イデオロギーで記事を書き、政治家は謝り、人びとはそれが当然のことと、つい十数年前までは思っていたのである。

 本書は既に書籍や論文にて公表されている事実を寄せ集めたものに過ぎない。それを体系化して整理したに過ぎない。よって、新たなる発見が展開されているわけではない。
 しかし、学術雑誌や学術書を読むような人はごくわずかのその領域の研究者である。しかも、本書の元になった論文等の執筆者は、韓国の学会では反主流派の少数派であるという。したがってほとんどの国民はこうした論文があることすら知らなかったであろう。
 本書の意義はそこにある。何も知らずに、本当のことだと思い込んでいる大衆への啓蒙書であり、警告の書である。それ故に、体系化して整理し、しかもわかりやすく読み易い一般書にしたのであろう。

 極端な正義、特に人々の正義の感情に訴える劇場型の正義は、右も左も危険である。昔も今も、実証主義・科学主義が学問の王道である。(2431)
posted by 矢島正見 at 12:37| 我流雑筆

2020年01月16日

『奥羽の二人』

 松本清張『奥羽の二人』を読む。10本の短編が収録されている。
 『五十四万石の嘘』とほぼ同時期に書かれているが、こちらの方がやや出来が良い。10本とも秀作である。清張の歴史小説を読むのであれば、その入門としてはこちらのほうをお勧めする。
 なお、奥羽の二人とは、伊達政宗と蒲生氏郷である。会津を取った正宗だが、秀吉に没収される。その会津に赴任してきたのが氏郷(42万石、のちに91万石)。若手の武将ナンバーワンと秀吉から折り紙付きの武将である。会津を取り戻そうとする政宗の策略、それに立ち向かう氏郷、この構図だけでも面白い。

 小説にはないが付け加えると、氏郷は若くして死んだ。世継がいなかったのでお家は宇都宮(12石)に移された。氏郷の死では家康に毒殺されたという説があるが、これはうそであろう。
 それほど家康は恐れていたということだ。会津に氏郷がいる限り、家康はうかつに動くことはできない。豊臣秀吉は伊達政宗への牽制と、事あれば家康を背後から突かせるということで氏郷に会津を任せたわけである。
 氏郷は近江派である。もし生きていたら、上杉とともに石田三成に組したのではないか。そうなると、伊達は総崩れと化し、家康は宇都宮から軍を引き上げたとしても、江戸を離れることは難しかったであろう。(2430)
posted by 矢島正見 at 14:06| 我流雑筆

2020年01月15日

『五十四万石の嘘』

 松本清張『五十四万石の嘘』を読む。8本の短編が収録されている。
 昭和26年から31年にかけて書かれたもので、松本清張の初期のさらに初めである。「西郷札」や「或る「小倉日記」伝」の頃の作品である。
 「五十四万石の嘘」は熊本加藤家二代目の物語である。いかにして加藤家がお取りつぶしになったのか、奇想天外な物語となっている。
 文中に「卯月」と出てくる。清張が旧暦を用いていたことがわかる。時代小説では、「卯月(四月)」と書いてくれると、また「寛永元年(1624)」と書いてくれると、さらに「二百五十石の知行取り」と書いてくれると、よくわかるのだが。
 おもしろいことを見つけた。最後に「うしろがき―「解説」に代えて」とある。「あとがき」というのがごく普通であろう。「跋」や「うしろがき」は珍しい。
 さらにおもしろかったのは、伝票が挟まれていたことだ。「啓文堂書店」「92/04/30」となっている。1992年に購入したらしい。おそらく1992年の春に読んだのだろう。(2429)
posted by 矢島正見 at 13:24| 我流雑筆

2020年01月13日

『武田三代』

 新田次郎『武田三代』を読む。武田信虎・信玄・勝頼の三代である。
 7本の短編により構成されている。どの短編も面白い。文章が切れる、読ませる。内容が淡々としていながら、ストーリー展開がリズムよく流れる。
 一度、十年以上前に読んだものだ。読んでいて思い出した。それでも読み進めた。
 しかし、これは歴史小説なのかと、疑問である。史実にない記述が多すぎる。骨格のみ史実といった類である。やはり、時代小説と思って読んだほうがよさそうである。(2428)

posted by 矢島正見 at 14:13| 我流雑筆

2020年01月10日

合掌

 1月7日、高校時代の恩師のM氏が亡くなられたというメールを受けた。78歳であった。
 1月8日、研究の大先輩であるM氏が亡くなられたというメールを受けた。78歳であった。
 偶然の一致ではあるが、何と言ったらよいのか。ただただ合掌である。(2427)
posted by 矢島正見 at 14:15| 我流雑筆

2020年01月08日

「超・人間学」

 月刊誌『サイゾー』に関しては既にこの「我流雑筆」にて採り上げたが、この中の「超・人間学」は実に面白い。科学の面白さがわかる。これを読むと、社会学は科学とは程遠いと思わざるを得ない。(2426)
posted by 矢島正見 at 18:42| 我流雑筆

2020年01月05日

昼に眠くなる

 私の趣味は寝ることです。朝寝、昼寝、夕寝、夜寝、ごろ寝、うたた寝、添寝。何でも好きです。酒よりも好きです。うつらとろりと、半分眠っていて半分目覚めている、という状態が一番好きです。至福の時といっても過言ではありません。
 近頃、昼食を食べて一時間ほど過ぎると眠くなります。誰でも食べた後は眠くなるものですし、私もそうです。
 今まででも、食べた後は眠くなっていたのですが、ここ半年ほどやけに眠くなるのです。昼食後に限って眠くなるのです。夕食後は、深酒をしない限り、それほどではありません。
 やはりこれは老化ですね。冬の晴れた日に、窓ガラスから入ってくる日の光を受けて、まぶしいかぎりの日差しの中で、うとうととするのは実に楽しいものです。(2425)
posted by 矢島正見 at 14:47| 我流雑筆

2020年01月04日

静かな日

 暮の30日から昨日の3日まで、実にドタバタしておりました。今日からは静かな日になると思います。今日は寒いです。薄日で、時々雲の間から日が差してきます。
 また、背中等が痒くなり出しました。昨日は痒くてなかなか眠れませんでした。久しぶりに午前になる前に寝たのですが、なかなか眠れずに、結局午前になってしまいました。
 「矢島正見わーるど」のアクセス数が199500回を超えました。まもなく20万回です。(2424)
posted by 矢島正見 at 10:56| 我流雑筆

2020年01月01日

新年のご挨拶

新年 明けまして おめでとうございます

昨年中は 並々ならぬ ご支援・ご指導・ご鞭撻を賜り 有り難く存じます。
本年も どうか ご支援・ご指導・ご鞭撻のほど なにとぞお願い申し上げます。

平成が4カ月、令和が8カ月という、考えてみれば面白い年でした。
天皇が存命中に退位なされ、皇太子が新天皇になられるということは、江戸時代以前では当たり前のことだったでしょうが、明治以降、今回は画期的なことでした。実にうまい具合にバトンタッチが行われたと言ってよいでしょう。

令和2年はまるまる12カ月ありますが、今年はネズミ年、私は年男です。と言っても、何かめでたいことがある、ということではなさそうです。それどころか、昨年以上に多事多忙の年になるのではないかと、予測しております。

おかげさまで、昨年は、中央大学の卒業生たちが「囲む会」を盛大に行ってくださいました。さらにまた、大正大学の卒業生たちも謝恩会を盛大に祝ってくれました。有り難いことです。

書籍では、日本社会病理学会監修で11名の執筆者による『社会病理学の足跡と再構成』(学文社)を世に出しました(「第4章」分担執筆)。
また、暮になって、『平成の青少年問題』(矢島正見・岡本吉生・山本功編著)を一般財団法人青少年問題研究会から出しました(「第6章」分担執筆)。これは200部限定の財団直販です。(書店では購入できません。財団から直接ご購入ください。ほんの僅か残部がございます。)

今年は、多事多忙のドタバタ騒ぎの年になることと思います。何がどうなるのかは、どうか私のホームページ「矢島正見わーるど」や一般財団法人青少年問題研究会のホームページをご覧ください。

           令和2年1月元旦 矢島正見(2423)
posted by 矢島正見 at 17:23| 我流雑筆