2019年12月30日

『平成の青少年問題』

 ようやく『平成の青少年問題』が出た。12月23日に出来上がった。予定よりもひと月半の遅れになってしまった。
 10月に学文社から出た日本社会病理学会監修の『社会病理学の足跡と再構成』も生みの苦しみを味わったが、今回も苦しかった。
 編著者は私も含めて3名だが、実際に編集したのは私である。しかも、それだけでなく、本書の論述構成も、執筆者との連絡も、印刷所との交渉も、チラシの配布も販売もほぼすべて私一人で行った。「初出一覧」も「執筆者一覧」も「奥付」まで私が作成した。つまり、通常は出版社の編集校正担当社員と販売宣伝担当社員がすることも私がしたわけである。
 本書は自費出版もどきの本である。ある財団から助成金をいただき、200部限定出版とし、しかも書店や通販を通さない一般財団法人青少年問題研究会直販とした。
 しかし、実に立派な本に仕上がった。320頁ほどの堂々とした書籍が出来上がった。体裁も美しい。これで引退に一歩近づいた。嬉しい限りである。(2422)
posted by 矢島正見 at 00:57| 我流雑筆

2019年12月28日

『コミュニティ犯罪学』

 とんでもない本が献本されて来てしまった。5日間かけてようやく読み終えた。実にしんどかった。
 『コミュニティ犯罪学』、タイトルは魅力的である。しかし、内容は地域次元での犯罪・非行原因論でもなく、地域次元での犯罪・非行統制論でもない。犯罪学におけるコミュニティを対象とした調査研究理論の書である。しかも、ハウツウものではない、理論展開の書である。
 こんな難解な本は、今までの私の研究生活の中で10本の指に入ることであろう。正直「大半はわからなかった」というべきか、「あるところは分かった」というべきか。
 日本の犯罪学者のどれほどの人がわかるのだろうか。私自身は当然のことで、最先端の犯罪学方法論(特に計量分析方法)にはついて行けないことはわかっているが、私より今少し若い60歳以上の研究者であってもどれほどわかるのか、心配である。
 さらに、この書の提言通りにどれほど実際の調査研究がなし得るのかと考えてみると、結局のところ、しばらくは、コミュニティにおける犯罪研究での空間次元と時間次元との分析単位を異にしたスケールでの、統合分析ということに帰着するのではないかと思える。
 私の言うところの社会構造次元と個人の行動・意識次元を媒介するところの生活次元での空間時間調査分析の必要性ということになるのではないだろうか。
 もちろん、理屈だけの仮説提示に終始するような私の研究とは異なった、コンピュータを用いての統計的科学分析データを提示しての科学的根拠に基づいた調査研究方法論である。
 とにかく、本書は今までの生態学研究・環境犯罪学・地域防犯といった、なじみやすい単純なレベルの書籍ではない。
 この書を理解し得て、自ら調査研究し得る若手・中堅の犯罪学者が多数現れることを期待したい。(2421)
posted by 矢島正見 at 19:12| 我流雑筆

2019年12月26日

『教育と法の狭間で―法的アドバイスをもとにした実際の生徒指導事例60』

 『教育と法の狭間で―法的アドバイスをもとにした実際の生徒指導事例60』を読む。まさに学校教育実践の指導書である。平時の際には軽い気分で読めるであろうが、事態が発した際には、再度じっくり読む必要がある、という本である。(2420)
posted by 矢島正見 at 22:02| 我流雑筆

2019年12月25日

孫がじいじを超える

 小学5年生の孫のスイミングにつきあっている。ときどき覗いてみる。私よりも早いし、泳ぎ方が良い。私はクロールと平泳ぎしかできないが、その二つとも超えられてしまった。もちろん、背泳もバタフライも越えられている。
 先日、孫が学校の授業中に解いたという図形問題をやってみた。わからない。小学5年生の問題とは思われない。おそらく中学受験の問題であろう。孫にヒントを与えてもらってやっとできた。孫はそれを自力で解いたわけだ。とうとう、算数も越されてしまった。
 四十年前までは矢島塾の塾長だったのだが…。(2419)
posted by 矢島正見 at 00:49| 我流雑筆

2019年12月22日

冬です

 寒いです。実に寒いです。もう完全に冬です。
 一日の最低温度が4度以下となり、最高温度が10度以下となったら、もう冬です。
 部屋には暖房が必要です。外出には靴用のカイロが必要です。麦酒や日本酒を冷蔵庫に入れる必要もなくなります。日本酒とワインは常温で結構です。(2418)
posted by 矢島正見 at 16:25| 我流雑筆

2019年12月20日

読書感想ばかりですがC(完)

 私は子どもの頃、文章を書くのが大嫌いだった。とにかく「感想文」というのが、どうしようもなくいやだった。
 好きになり出したのは中学一年の時。そして中学三年の夏の終わり頃に日記を書き始めた。それが、高校生になり、芥川龍之介の『侏儒の言葉』を読んで、手記と化した。
 そこからは書くことが私の趣味となった。この「我流雑筆」はその延長である。(2417)
posted by 矢島正見 at 00:44| 我流雑筆

2019年12月15日

読書感想ばかりですがB

 これからも、いわゆる「読書感想」が続くことと思う。それでいいと思っている。専門外からの読書感想である。文芸評論家の発想ではない読書感想である。好き嫌いの偏った読書感想である。
 その読書感想は、もちろん小説・詩歌に限定されない。人文学、社会科学、自然科学のすべてである。どのような書籍・雑誌でも取り上げる。いや、映画も歌(唄)も取り上げる。

 認知症と診断されたならば、初期の段階で、政治評論を書くことにしよう。「認知症患者の書いた政治評論」である。筒井康隆をはるかに超えた超カオス・ナンセンス随筆になること請け合いである。あと10年後である(生きていて認知症になっていれば)。(2416)
posted by 矢島正見 at 00:31| 我流雑筆

2019年12月12日

読書感想ばかりですがA

 「学術的なことや政治的なことは書かないのですか」と言われる。それは今まで極力抑えてきたことである。書けないのではなく、書かないのだ。私は本来、まともな社会学は嫌いである。そして政治的にはアナーキーであり(右も左も嫌い)、思想的にはニヒリズム(日本的な静かなニヒリズム)である。
 そんな私が、本音を出して書いたのならば、若い頃のビートたけしよりも過激になることであろう。だから今まで書かないことにしていた。もし、書くとしたら、ツイッターなどで、匿名に隠れて書くかもしれない。

 たとえば夫婦別姓問題。
 「生まれた子どもが18歳になったなら、父や母とはまったく別の性を名乗る権利を与えよ」。「父の姓は「山田」、母の姓は「伊藤」、子どもの姓は「毘沙門天」」といった感じ。
 ついでに、名前も変えてよい。「毘沙門天五郎左衛門義孝」なんて名前がキラキラネームの次に流行ったら面白い。ちなみに、私は「知名健太郎定信」という方を存じている。ペンネームでも芸名でもない。立派な方である。(2415)
posted by 矢島正見 at 22:46| 我流雑筆

2019年12月08日

読書感想ばかりですが@

 「最近の我流雑筆は読書感想ばかりですね」と言われてしまった。それはそれで的を射ている。
 「読書感想」と言われればそれまでだが、私としては、文芸評論家では書けない(書かない)「書評」と思いたい。ただ単にストーリーを追っているだけでないことは、お分かりいただけることと思う。
 物語から脱線して、文芸とは関係ないところに、つまり、歴史・文化・社会等に展開を引き延ばしている。私にとっては、それが楽しみなのだが、読む人にとっては、つまらないということであろう。(元の小説を知らなければ面白くないであろう。)

 長い間、今までいろいろなことを書いてきたが、それをまとめて、「第1章 文芸・小説の個人評」「第2章 歴史書の個人評」「第3章 自然科学書の個人評」といったふうにまとめたら、面白いまとまりになるのではないだろうか。(2414)
posted by 矢島正見 at 14:05| 我流雑筆

2019年12月06日

『軍事の日本史―鎌倉・南北朝・戦国時代のリアル』

 『軍事の日本史―鎌倉・南北朝・戦国時代のリアル』を読む。
 この類の本も好きなのであるが、いささかがっかり。「鎌倉・南北朝・戦国時代」を一括して論述したのは面白い試みなのだが、論述に整理が出来てないし、体系化もされていない。突然に別なことに話が進む、それゆえか、結局何度も同じことを述べる、しかも、言い訳がましく。
 もっと、すっきりと書けるだけのキャリヤがある方だし、こうした類の書も多く書いているのだが(読んだことはないが)。
 私なら、「領地とイエ」「経済力と兵力(富国強兵)」「政治と軍事」「戦術と戦略」「兵站」「技術革新」「カリスマと組織」といった章立てで論じていくのだが。(2413)
posted by 矢島正見 at 12:10| 我流雑筆

2019年12月01日

OBOG会

 久しぶりに、2期生・3期生が集まった。13人でワイワイと騒ぎながら飲んだ。楽しいひと時を過ごさせていただいた。そして、記念ファイルブックまでいただいた。(2412)
posted by 矢島正見 at 18:26| 我流雑筆