2019年11月01日

『墨東綺譚』@/5

 永井荷風『墨東綺譚』を読む。(「墨」はさんずいなのだがこのパソコンでは表示できないので、この「墨」とする。)(なお、本書は7月末のある日一日にて読んだ本である。掲載が後回しになってしまった。)
 場所は玉の井。どのへんかよくわからないが、隅田川の川を渡った東側だ。こういう本を読むと、内容だけでなく、時代や地域が気になってしまう。しかし、よくわからない。三橋順子氏であれば、すぐに指摘できるのだが、私はネットの地図を見ながら、この辺だと推定するしかない。

 ところで、「秋葉神社」というのが出てくる。調べてみると全国津々浦々にあるとのこと。本宮は浜松市天竜区にあるという。山の中に在るようで、随分と由緒ある神社のようだ。
 それはどうでもよいのだが、東京のこの小説に出てくる地域にも二つある。一つは台東区松が谷三丁目にある「秋葉神社(あきばじんじゃ)」である。「明治初年頃大火災の頻発により、東京市民の火災鎮護の祈願所として秋葉原の地に建立された。後に鉄道駅の設置により現在地に遷座されたが、『秋葉原』の名も当社にその起源を発するものである。」と書かれているので、「秋葉原」という駅名がこの神社から由来しているということがわかる。なお、本宮のほうは「あきは」と読むとのことである。「あきば」は関東なまりなのか。

 そこでさらにネットで調べてみると、明治2年の大火の後、「延焼防止のための火除地が「秋葉ノ原」と呼ばれ、後に秋葉原という地名が誕生することになる」と出ている。
 昔の人は駅名を「あきばはら」と言っていたということを母から聞いた記憶がある。そして秋葉原は「秋葉が原」と言っていたと言う。ネットでも火除地を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んでいたと書かれている。それがいつから「あきばはら」となり、さらに「あきはばら」と言うようになったのか。
 さらに調べてみた。「あきはっぱら/あきばっぱら(秋葉ツ原)」「あきはのはら/あきばのはら(秋葉ノ原/秋葉の原)」「あきはがはら/あきばがはら(秋葉ケ原/秋葉ガ原)」などと呼ばれ始め、呼称は統一されていなかった。」と書かれている。
 そして、「当地区の呼称が「あきはばら」として定着するのは、鉄道駅の開設以降とするのが定説である。後に地名の読み自体も「あきはばら」となる。なお、1890年(明治23年)に開業した時点では「秋葉原駅(あきはのはらえき、英語: Akihanohara Station)」であり、旅客は扱わない貨物専用駅だった。駅の呼称としては「あきはのはら」から「あきははら」に変化した後、1907年(明治44年)に「あきはばら」へと変更された。現在は日常会話やメディア等で広く「あきば」という略称が使われ定着している」とある。私に言わせれば「アキバ」であろう。
 これでようやく納得した。初めからWikipediaを見ればよかった。いやー、Wikipediaは実に便利である。

 さて、ようやく今ひとつの「秋葉神社」。これは墨田区向島四丁目にある「秋葉神社」で、隅田川と東武曳舟駅の中間にある。場所としては、「吾妻橋を渡り」という表現があるので、小説に出てくるのはこちらのほうだと思える。読み方は「あきは」なのか「あきば」なのかは不明である。(2404)
posted by 矢島正見 at 12:00| 我流雑筆