2019年08月09日

『朱夏』@/5

 6月下旬、宮尾登美子の『朱夏』を読んだ。『櫂』『春燈』『朱夏』の三部作の最後の作品である。
 文庫本にして620頁を4日間で一気に読んだ。読み始めると止められない面白さ抜群の大長編である。

 『櫂』は女の厭らしさにげんなりしつつ読んだ。『春燈』では、何だこの娘は、とムカつきながらも、読み進めた。この『朱夏』は夢中になって読んだ。
 『櫂』で宮尾は作家としてデビューした。『鬼龍院花子の生涯』が映画化されたことにより、流行作家となった。そしてこの『朱夏』で大作家となった、と言えよう。

 『櫂』では、嫉妬に狂う女の性(さが)と亭主関白の男の勝手と好き勝手に生きる幼女・童女のわがままが描かれているに過ぎない。ある種の「異端・異色ホームドラマ」である。客観的文体であるにもかかわらず、妻(喜和)の認識と作家・宮尾登美子の認識が多分に重なる。思い入れの激しい作家意識で書かれている。
 したがって、共感する人にとっては、感激する小説であろうが、一歩離れて読む人にとっては、こってりとした同じ味付けの料理を、これでもかと卓に出す料理店のような感じを受ける。新人の書いた書き込み過ぎの小説である。

 『春燈』では、作家としての技量が格段に上がっている。目いっぱいに書いたという作家としての意気込みは薄まるが、主人公の娘(綾子)の認識と作家・宮尾登美子の認識とが分離されて描かれている。綾子の喜怒哀楽を感情たっぷりに描いたとしても、それはあくまでも綾子の思いであるということを位置付けている。ストーリー展開のテンポもよく、作家として完成されている。(2374)
posted by 矢島正見 at 13:42| 我流雑筆