2019年08月30日

『社会学で描く現代社会のスケッチ』

 『社会学で描く現代社会のスケッチ』が送られてきた。そして、読んだ。「ファーストステップ教養講座」の一冊として出版された本である。
 実にわかりやすい。そして実にためになる。社会学を学ぶ学生にはお勧めである。まさに最初に手にする入門書である。
 しかし、であるからこそ、疑問が生じる。これほどわかりやすく解説されているのであるならば、それ以上の講義は無用なのではないかと。
 私たちの学生時代には、訳の分からない専門書を突然読まされた。しかし、それを解説してくれると、「そうなのか」と理解し、「学問とはこういうものなのか」と感心したものである(もちろん、何を言っているのか全く分からない先生も多くいたが)。
 それに比べると、今の大学生は恵まれている。しかし、逆に教える側は、大変なのではないだろうか。(2382)
posted by 矢島正見 at 19:19| 我流雑筆

2019年08月26日

『クィアと法』

 『クィアと法』を読む。序と9つの章からなる。
 実によく書けている。「クィア」もしくは「LGBT」研究もようやく政治イデオロギーから脱却してまともな学問になって来たと思う本である。
 きちんと文献を提示しデータを提示し、時代背景を整理し、それからようやく執筆するとなると、それなりの時間がかかるが、自己体験と正義のイデオロギーで言いたい放題言うのにはほどんど時間はかからない。そこで、どうしても特殊正義のイデオロギーの本や感情優先の本が先行することになる。
 地道に研究している人は不利である。しかし、ようやく、そうした人たちに日が差してきた。石田氏、三橋氏の史料・資料を丹念に読み解く姿勢は相変わらず見事である。このような人たちが高く評価されなくてはいけない。
 石田氏、三橋氏はむろんのこと、志田氏、金田氏、関氏と、なつかしい名前が出てくるのもいい。みんな頑張っているんだな、と感心する。嬉しい限りである。(2381)
posted by 矢島正見 at 00:48| 我流雑筆

2019年08月25日

『ももこのいきもの図鑑』

 さくらももこ『ももこのいきもの図鑑』を読む。本書は漫画家さくらももこのエッセイ集である。
 孫が持ってきたもので、読んでみると、なかなか面白いので、読み切ってしまった。文章がよくできている。一つひとつのエッセイそれぞれに添えてある絵もなかなか良い。「おどるポンポコリン」はさくらももこ作詞とのこと。才能がある。
 こういう場合はWikipediaを見るに限る。見ると、随分とエッセイ集を出している。しかし、残念なことに、2018年8月に亡くなられている。53歳だったとのこと。(2380)
posted by 矢島正見 at 14:21| 我流雑筆

2019年08月24日

お盆

 お盆に孫たちがやって来た。3泊4日のお泊りである。しかし、その間、私は体調を崩してしまった。暑さと冷房と食い過ぎ・飲み過ぎである。16日は16人が集まった。大人9人、子ども7人である。(2379)
posted by 矢島正見 at 15:05| 我流雑筆

2019年08月19日

『朱夏』D/5(完)

 しかし、一日二杯の高粱粥だけの生活、ボロボロの服一枚だけでの一年以上の生活、風呂に全く入らない一年以上の生活、狭い空間に数家族が共同しての息苦しい生活(一人に対して畳一畳の空間すらない)、虱・ダニ・蚤に悩まされての生活、自分の・要の・美耶の死ぬのではないかと思うほどの病気、栄養失調になり躰中皮膚病に侵されていながらも生きている美耶、これらの記述は実にすごい。
 そしてさらに圧倒されるのは、要・綾子・美耶の家族以外の人たちの生き様の記述のすごさである。満州に残された人々が皆同じでなかったことが実によくわかる。敗戦後も贅沢に暮らしている人、内地に帰りたくない・帰れない人たちの存在、殺されて・栄養失調で死んでいく人たち、みなすごい。生きるためには、どんなことでもする、どんな汚いことでもする、そうしなくては生きていけない事実に直面した人たちの生き様、すべてが詳細に明確に描かれている。
 一年半ほどの期間の物語ではあるが、戦中・戦後を中国大陸で生きた人びとを描いた物語としては最高傑作の一つではないかと思える。今一つ取り上げるとしたら『人間の条件』であろうが、それ以上の傑作である。
 『櫂』『春燈』と苦労して読んできた甲斐が、ここでようやく報われた。(2378)
posted by 矢島正見 at 12:58| 我流雑筆

2019年08月17日

『朱夏』C/5

 着いてから、後悔する。しかし、帰ろうとはしない。夫だけ単身赴任すればよいものを、綾子は赤子と共に満州の地で生活する。帰ろうという意識すら湧いてこないのである。父への甘えた生活から夫にすがっての生活への変容である。
 満州の地で綾子は19歳となり、20歳となる。最初の頃の綾子は、水が住民にとって限りなく貴重であるにもかかわらず、一人風呂を沸かして入る。ごく、当たり前のこととして。多くの人の反感に遭うなどと考えることもない。思い浮かべることさえないのである。
 こうした綾子に次々に難題が降りかかる。そして、ソビエト軍の侵入であり、中国人の暴動であり、日本の敗戦であり、逃避行である。ようやく、綾子はまともになっていく。当時としてはしっかりした部類に入る20歳の女性・妻・母親になっていく。
 それにしても、夫の要は出来過ぎである。それ故に最後の最後まで、要がいないと自分も子(美耶)も生きていけない、という認識から抜け出せない。また、内地に帰れば金のある親がいる、という意識にすがりつく。内地に帰れば、何もかもうまくいく、という考えである。内地が・土佐がどうなっているのかは考えない。希望にすがりつくというのはこうしたことと、納得する。
 しかし、そんな綾子も、栄養失調で、がりがりに痩せ、全身皮膚病で、まもなく2歳だというのに一言も話さない美耶のことだけは、気がかりでいる。
 私も、内地に帰ってからの美耶の成長を知りたいところである。岩伍が生きているかも知りたいところである。昭和20年から23年頃までの続編が欲しいところである。(2377)
posted by 矢島正見 at 13:24| 我流雑筆

2019年08月14日

『朱夏』B/5

 この時代はこんな認識だったのか、と驚きと共に物語は始まる。
 綾子17歳。代用教員。金銭的にはすべて父親に依存しておきながら、意識としては父親から逃げたい、独立したいという思いに、何の矛盾も感じない娘(『春燈』の最後、そして『朱夏』の始まり)である。
 綾子は教師の要と知り合う。そして父親からの独立を求めて17歳で結婚し、18歳で子どもを産み、生後50日にて、夫と共に満州に行く。夫が満州開拓団の教員になるためである。父親からの独立は夫への依存である。

 時は昭和20年3月。ここで驚きである。昭和10年の3月の誤りではないかと、一瞬疑う。5年いや10年、時代がずれているのではないかと、思わざるを得ない。
 硫黄島で日本軍は玉砕し、本土はB29の爆撃が連日連夜続き、すでに敗戦は時間の問題、目と鼻の先にあり、日本が敗戦すれば、大陸に渡った日本人の命はまったく保証されないという時代そのものの中での満州行きである。
 しかし、この時代錯誤の認識は、綾子と要だけではなく、大土佐満州開拓団の認識でもある。満州に行けば空襲はない、満州に行けば食べ物は豊富にある、今よりも豊かな生活ができる、そして教員は3倍の給料がもらえる、ということである。
 まさに、目先の明日だけの欲望で生きていたことがわかる。そして「神国日本が負けるわけない」という都合の良い考えが、都合が良いからこそ信念と化すのである。
 この頃になると、すでに満州にたどり着くまでが大変である。以前の倍以上の時間を要し、さらに途中撃沈されて海の屍になる可能性が高い。それでも行くのである。

 実際、昭和20年5月まで、満州開拓団は派遣されていたとのことである。沖縄上陸直前までである。国家がおかしいだけでなく、国民もおかしかったのだ。まともな判断ができていなかったと言わざるを得ない。戦争は国家だけの責任ではない。(2376)
posted by 矢島正見 at 00:52| 我流雑筆

2019年08月11日

『朱夏』A/5

 しかし、『櫂』も『春燈』もスケールが小さい。家業が下賤の芸妓・娼妓紹介業という時代的問題性は設定されてはいるものの、また戦前の学校の体質が描かれてはいるものの、時代を真っ向から捉えていない。しかもいささか、ご都合主義的な問題設定である。
 ところが、この『朱夏』では、見事に時代が描かれている。満州開拓団の生活の一部始終が、また時代の流れの中でほんろうされる開拓団の人たちの生き様が、実に見事に描かれている。
 特定の正義イデオロギーに偏ることなく、また悲喜劇を強調してのお涙頂戴主義でもなく、最初から最後まで、綾子の目を通しながらの描写でありつつも綾子の視点に思い入れることなく、作者・宮尾登美子の時代視点を保持している。『坂の上の雲』の司馬遼太郎に匹敵する。(2375)
posted by 矢島正見 at 12:54| 我流雑筆

2019年08月09日

『朱夏』@/5

 6月下旬、宮尾登美子の『朱夏』を読んだ。『櫂』『春燈』『朱夏』の三部作の最後の作品である。
 文庫本にして620頁を4日間で一気に読んだ。読み始めると止められない面白さ抜群の大長編である。

 『櫂』は女の厭らしさにげんなりしつつ読んだ。『春燈』では、何だこの娘は、とムカつきながらも、読み進めた。この『朱夏』は夢中になって読んだ。
 『櫂』で宮尾は作家としてデビューした。『鬼龍院花子の生涯』が映画化されたことにより、流行作家となった。そしてこの『朱夏』で大作家となった、と言えよう。

 『櫂』では、嫉妬に狂う女の性(さが)と亭主関白の男の勝手と好き勝手に生きる幼女・童女のわがままが描かれているに過ぎない。ある種の「異端・異色ホームドラマ」である。客観的文体であるにもかかわらず、妻(喜和)の認識と作家・宮尾登美子の認識が多分に重なる。思い入れの激しい作家意識で書かれている。
 したがって、共感する人にとっては、感激する小説であろうが、一歩離れて読む人にとっては、こってりとした同じ味付けの料理を、これでもかと卓に出す料理店のような感じを受ける。新人の書いた書き込み過ぎの小説である。

 『春燈』では、作家としての技量が格段に上がっている。目いっぱいに書いたという作家としての意気込みは薄まるが、主人公の娘(綾子)の認識と作家・宮尾登美子の認識とが分離されて描かれている。綾子の喜怒哀楽を感情たっぷりに描いたとしても、それはあくまでも綾子の思いであるということを位置付けている。ストーリー展開のテンポもよく、作家として完成されている。(2374)
posted by 矢島正見 at 13:42| 我流雑筆

2019年08月02日

暑中お見舞い

暑中 お見舞い 申し上げます。

梅雨の最中は、随分と涼しく、今年は冷夏かな、なんて思っていたのですが、とんでもない間違いでした。
梅雨があけたとたんに猛暑です。真夜中になっても暑いです。
どうか、ご自愛のほど、お願い申し上げます。
私もこよなく「自愛」します。

私は、エアコンも扇風機もない生活ですので、本当にエコです。窓から入ってくる風と団扇だけです。昼に前日の残り湯の風呂に入り火照った躰を冷やせば、それでよいのです。
日本国民すべてが私のような生活をしていれば、エネルギーは問題になりません。原子力発電もいりませんし、火力発電も減少できます。

「囲む会」では、中大(5/11)や大正大(6/29)のOB・OG生の皆様、ありがとうございました。用事のために参加できなかった方には、ここでご挨拶させていただきます。

引退すれば「全日空」「サンデー毎日」とよく言われますが、そうでもなく、週に3回ほど出歩いております。ほどよい日々ではないかと思います。

あとの日々は、何やら怪しいものの執筆をしております。どのようなものか、数年後にわかることと思います。この我流雑筆も怪しい執筆です(これが意外と時間を要します)。

あと、3年間は気難しい日々を過ごす気難しいじじいであると思います。しかし、書きたいことを書き終えたら、そこで執筆活動は終わりとします。さらに、いろいろな役も終わりにしたいと思います。

そして、その後は、鴨長明のような、兼好法師のような、島流しになった西郷隆盛のような、お役をすべて解任されたときの勝海舟のような、戦後の永井荷風のような、晩年の古今亭志ん生のような、そんな生活に入ろうかと思っております。

ところが、問題もあります。耳が聞こえません。テレビも画面を見るだけで、音声はほとんどわかりません。ですから、電話はダメです。
カラオケですら、演奏の音が近頃わからなくなってきております。

まあ、そんなことですので、今しばらくは、ごひいきのほど、お願い申しあげます。(2373)
posted by 矢島正見 at 21:41| 我流雑筆