2019年06月27日

『宇宙はなぜブラックホールを造ったのか』

 谷口義明『宇宙はなぜブラックホールを造ったのか』(光文社新書)を読んだ。
 この類の本は私の好きな領域である。正直言って、犯罪学のお堅い本よりも面白い。
 いつもならば一日で読めるのだが、今回は3日かかった。もたもたしていたこともあるが、かなり難解な書であった。一般者向けの書ではあるが、専門がちりばめられた書でもあった。

 しかし、やはり面白い。その一例。
 宇宙が始まってから138億年。意外と宇宙は若い。いや、幼い。人の年齢であるならば乳児期である。
 太陽質量の(つまり太陽と同じほどの質量をもつ)ブラックホールは10の66乗年で消滅する。
 銀河質量(太陽の1000億倍)のブラックホールは10の99乗年で消滅する。
 銀河団質量(太陽の1000億倍の1万倍)のブラックホールは10の111乗年で消滅する。
 ここで宇宙は死を迎える。随分と先のことである。

 宇宙の最後は「ビッグフリーズ」と言われており、拡大化を遂げた全宇宙空間が絶対温度と化す、と言う。
 その前に、太陽は今から50憶年後に消滅する。太陽程の恒星の寿命は100憶年であるので、今の太陽の年齢はちょうど寿命の半分に達したということである。もちろん、太陽の消滅は地球の消滅でもある。
 さらに50憶年後頃に、天の川銀河とアンドロメダ銀河が合体する。超巨大な銀河が発生し、超巨大なブラックホールが出来上がるということである。
 1000億年後、宇宙の拡大化に伴って、周りの宇宙は観られなくなる。肉眼で見えるほどの近くに星が無くなってしまうからだ。つまり、天空に星はなくなる。ただの暗黒の夜であるが、その頃太陽系は無くなっているので、私たちにとってはどちらでもよいことだ。

 10の34乗年後、原子は死滅する。原子にも生死があったのだ。
 10の100乗年後、ダークマターのエネルギーが未だ存在すると仮定すると、未だ宇宙は存在する。しかし、上記したように全宇宙空間が絶対温度となる原子すら死滅した宇宙となる。ダークマターエネルギーだけがある宇宙ということか。

 学問のスケールがすごい。重箱の隅を爪楊枝でつつくような、涙無くして語れないという人間愛イデオロギーで包まれた超ミクロの学問はげんなりするが、とは言え、こうした超マクロの学問は私の大脳ではまったく着いて行けない。
 しかし、だからこそ、ファンタジーがあり、楽しい。男のファンタジーは人間の喜怒哀楽を超えた(もっと言えば、人類の滅亡など関係ない)巨大なスケールの時空間に在り、女のファンタジーは喜怒哀楽の関係性の真っただ中のミクロな感情世界にあるようだ。(2361)
posted by 矢島正見 at 22:20| 我流雑筆

2019年06月19日

『変身』B/3(完)

 私としては、筒井康隆、星新一、小松左京等の日本のSF小説のほうがよほど傑作だと思う。「変身もの」であるならば、小松左京の『日本アパッチ族』のほうが傑作である。
 彼らもその背景にきちんとした思想を持っている。ただ、その思想を背後に隠しているのだ。それが小説というものであろう。思想が前面に出て来ては、もはや小説ではない。プロレタリア文学が陳腐であったのはそのためである。

 ある特定の地域の特定の時代(具体的には、西欧の19世紀後半から20世紀前半)が生み出した「純文学」というものが廃れるわけである。「純文学こそ文学」と思っていた明治・大正・昭和前半の日本青年の姿は、今の日本の青年にはないし、なくてよい。(2360)
posted by 矢島正見 at 23:00| 我流雑筆

2019年06月17日

『変身』A/3

 どうも私はこうした分析をしてしまう研究者としての癖がある。
 もし、本当に巨大な虫であるならば、一大ニュースである。現存するはずのない巨大な虫が現れたのだから、警察どころか軍隊が出動するであろう。新聞記者が殺到するであろう。各国から生物学者がやってくることであろう。それが現実である。
 しかし、小説の中の現実はまったくそのようなことはない。と言って、抽象性の高い記述ではなく、極めて具体的な日常が極めて妥当な日常的感覚で展開されている。グレーゴルは会社を首となり、生活が苦しくなり、退職していた父は働きだし、妹も働きだし、という現実が描かれる。それでも生活費が足りないので、余っている部屋を人に貸したりしている。

 毎日、食事(エサ)を与えて、部屋を掃除する妹。けなげである。しかし、大小便という排せつ物の掃除は描かれていない。どうしたことであろうか。最も重要な処理をしないで、部屋掃除をしているのである。グレーゴル自身、虫となった自分の睡眠や食事のことは述べているが、排泄のことは述べていない。「ウンコはどうした」と言いたくなる。

 父親の投げたリンゴが背中に突き刺さり、それが腐り化膿して、また衰弱で死んでいく。これは虫が鎧のような固い背をしているということと矛盾している。
 ここは、腹にあたり、蛇腹のような横の溝が傷つき、リンゴの汁が溜まり、腐り、化膿して死んだほうが現実的である。グレーゴルの虫は、死ぬまで一度も風呂に入っていないのだから、また衰弱していたのだから、傷口が腐り、死んでもおかしくない。

 こうした些細なところで、リアリティがない。思想小説の大きな欠点であり、思想にかぶれた人たちは大歓迎するであろうが、流行の思想が去って行くとたちまち陳腐と化す。
 「名作」「傑作」と言われているようだが、ニヒリズム・実存主義・不条理思想大流行の西欧の20世紀初頭という時代思潮そのものなのである。まさに典型的な思想小説である。あと50年評価がもつかどうか疑問である。(2359)
posted by 矢島正見 at 10:47| 我流雑筆

2019年06月14日

『変身』@/3

 カフカ『変身』を読む(注:この小説を読んだのは2月前半のことである。)。
 ある日、グレーゴル・ザムザは、目を覚まして、自分が巨大な虫になっていることを発見する。鎧のような固い背、アーチのように膨らみ、横に幾本かの筋のついている褐色の腹、何本もの細い足の虫である。

 「巨大な虫」とは、おそらくグレーゴルほどの大きさであろう。私のイメージとしては、百足とゴキブリを足して2で割ったような感じである。カフカはこの虫の絵を描くことを拒否したという。それは正解であった。ビジュアル化したら、たちどころに、「何だこんな虫か」ということになる。ここは読者の想像に任せるしかない。

 しかし、文章では「発見した」とある。つまり、この巨大な虫はグレーゴルの自己認識である。父も母も妹も、グレーゴルが虫のようになったという意識は持っているが、それでも、その虫を「息子・兄」と認識している。したがって、グレーゴルが変身してしまったことは確かだが、グレーゴルの描く虫とは限らない。いや、上記のグレーゴル自身が発見した虫であるならば(つまり、完全な虫であるならば)、父も母も妹も決して「息子・兄」と認識し得るはずがない。もしかすると虫には顔が付いていて、顔はグレーゴルそのものだったのかもしれない。
 とすると、顔はグレーゴル、躰はゴキブリ、脚は百足、ということになる。これですっきりする。(2358)
posted by 矢島正見 at 15:11| 我流雑筆

2019年06月10日

『サイゾー』

 月刊『サイゾー』が毎月送られてくる。したがって、毎月拝読させていただいている。
号によって、私の興味関心を引き付ける度合いは異なるが、短くても丸一日、長いときは丸二日読み続けている。
 6月号は随分と読むものが多かった。当然、丸二日かかった。
 「資本主義の父に〜」「裁判で依存症が〜」「労基の是正勧告に〜」「2040年エネルギー戦争〜」「世界を監視する〜」「三代編集長で〜」「超・人間学〜」「日本経済「平成の失敗」〜」「五所純子の〜」「伊藤文学の〜」等である。
 特に面白かったのは「三代編集長で〜」ある。これで「サイゾー」が霧隠才蔵であることが判明した。私の想像通りであった。『サイゾー』という雑誌がこれでうっすらとではあるが分かった。
 なお、面白いことを見つけた。雑誌の目次タイトルと本題のタイトルとが異なっていることだ。例えば目次では「三代目編集長で振り返る月刊サイゾー20年の軌跡」となっているが、タイトルは「歴代編集長がユル〜く振り返る 生誕20年を迎えたサイゾーの闘争史」である。(2357)
posted by 矢島正見 at 12:37| 我流雑筆

2019年06月04日

超異常

 私もスマホを持っている。大したものである。
 しかし、私の場合、通常は電源を切っている。
 こちらが使用しない場合に電源を入れている人の気が知れない。使うときに使えばよいのだ。なにも、外からやってくることを期待して、もしくは受信を義務として、電源を入れ続けている必要はない。
 一日一度(気になる人は、朝・昼・晩・就寝時の4回)電源を入れて確かめればよいだけのこと。私の場合は、二日に一度か、三日に一度ほど確かめている。もちろん、LINEだとか、Twitterだとか、Facebookだとか、やっていない。
 したがって、充電もひと月半に一度やればそれでよい。
 ところが、異変が起きた。大異変である。
 昨年の11月に私のところに来たメールは3通、12月は2通。今年の1月に私のところに来たメールは4通、2月は3通(なお、各月の1通は今月の料金通知)。
 今までは、こんなものであった。ところが、3月は16通、4月は何と84通、5月はやや落ち着きだして34通であった。
 こうなると、毎日一度は電源を入れて見ることになる。充電も二週間に一度ほどしなくてはならなくなる。
 まさに大変動であり、超異常である。さて、6月どうなるのか。(2356)
posted by 矢島正見 at 13:30| 我流雑筆