2019年03月23日

『古きをたづねて』

 唐木順三の『古きをたづねて』を読む。「たづねて」とあるが、学術的随筆であり文学論であり、紀行文ではない。六つの随筆と付録から構成されている。「二月堂の修二會」「由良」「熊野」「後鳥羽院と定家並びに西行・長明」が良かった。
 「二月堂の修二會」では「行基」と「役小角(えんのおづの)」(一般には「役行者(えんのぎょうじゃ))との対比が面白い。共に民を「妖惑」する「外道」として王朝政権から追放されながら(ともに伊豆に流される)、行基はその後大僧正として迎えられ、役小角は招きを辞退して修験道の開祖となる。
 この両者を対比するような映画があってもよい(既にあるのかもしれないが)。
 「由良」は「覚心」と「一遍」の出会いである。「智眞房一遍」の念仏開眼がこの由良であったという。ちなみに、この時一遍は妾とその娘を連れての旅であった。
 「熊野」にも一遍が登場する。唐木順三の一遍への関心はなみなみならない。なお、一遍の死後、時宗の僧は従軍僧として、戦場での死体の片付け等をしていたとのこと。初耳であるが、理解し得る。踊念仏の僧や信者には、エタ・ヒニンが多くいたということがわかっているからだ。そういうことでは、最下層の人たちが信心した宗教だったのかもしれない。
 「後鳥羽院と定家並びに西行・長明」は後鳥羽院と藤原定家の和歌での対立を描いたものである。ここでは「みやび」最後の後鳥羽院と「すき」への西行の時代移行が面白い。(2336)
posted by 矢島正見 at 21:52| 我流雑筆

『古代史試論』

 唐木順三『古代史試論』を読む。論文・随筆集である。
 「第一部」では「仁徳記」「仁徳陵と古事記」「飛鳥寺」が良かった。「第二部」では「言霊と言学」が良かった。あとは難しすぎた。
 一昔前までは、唐木順三のような偉大な知識人がいた(注:当然のことであるが、テレビに出てくる、知名度だけは高い、いわゆる「識者」という類の者とは異なる)。専門の学者でありながら、幅広い教養をもち、スケールの大きな構想を論理的に展開した。
 梅原猛が亡くなった。この人もその中の一人だった。
 しかし今は学問が細分化されてしまい、全体的でかつ学際を超えたスケールの大きさで時代と社会と文化と人間を語る人はいなくなってしまった。
 ひと昔前の時代ではそのような人を必要とし、今は必要としない、ということのようだ。(2335)
posted by 矢島正見 at 00:01| 我流雑筆