2019年03月01日

『子ども・若者が変わるとき』(下)

 ただし、批判もある。本書の批判ではない。もっと、本質的な批判である。
 近年、「青少年」という言葉が少なくなり、代わりとして「子ども・若者」になってきている。『青少年白書』も今では『子ども・若者白書』である。そして本書でも『子ども・若者』である。
 現在、「幼児」「児童」「少年・少女」「青年」「壮年」「中年」の問題の境界があいまいになってしまっているのである。
 各地方自治体の「青少年条例」での「青少年」は「0歳児から」となっている。
 「ひきこもり」では50歳代のひきこもりが問題化している。
 「子どもの貧困」とは「親の貧困」であり、貧困のまま結婚して子どもをつくった「若者の問題」なのである。
 「保育園が足りない」などは、親の問題なのか、乳幼児の問題なのか、労働問題なのか、育児問題なのか。
 老親に子どもの面倒を見てもらえないとう、いかなる理由があるのか。核家族は果たして理想家族なのか。「愛」だとか「合意」だとかいう理念に囚われず、機能として家族とは何か、ということを考え直す時代に来ているのではないだろうか。(2328)
posted by 矢島正見 at 23:33| 我流雑筆