2018年12月31日

『放浪記』B/8

 貧しい、惨め、死にたい、男に捨てられた、等々が告白調に書かれているが、飢えて乞食になるほどではないし、売春宿や街路で身を売るというわけでもない。しかも、そうした人生を歩むことを軽蔑する。かといって、女工となり、単純作業に明け暮れるという地道な人生も嫌悪する。その点は、やたらとインテリの顔がちらつく。「詩人」というプライドがちらつく。
 後半では、わずかながらも原稿料を得ており、若い詩人たちとの交流もある。作家として若いころ貧しい暮らしをしていたということかと、客観視すると貧困の叫びもややしらける。
 「なんだ、売れない詩人の日記か」「何時まで文学にしがみついているのだ、貧しいのは自業自得ではないか」と思うのであるが、満で19歳から23歳の極貧階層出身の文学を志す少女、ということを考えれば、こうした生活も納得し得る。
 売れない文学少女の極貧生活自分史である。(2304)
posted by 矢島正見 at 00:45| 我流雑筆

2018年12月29日

『放浪記』A/8

 全体的に、日記体で書かれている。日記体は読みやすいのが相場であるが、実に読み辛かった。『土』のような読み辛さではなく、前後のつながりがわからないのである。
 日記であるがゆえに、前後の時間的経過が文脈としてわからないところが多々ある。いや、大半がわからない。
 その間にどのような経過があったのか、ト書き程度でも書くのが読者サービスではないかと思うのだが、そのような配慮は一切ない。当時の読者も今の読者も想像で補うしかない。
 文中の「*」が節に相当する。ここで、日記が数か月跳ぶ。「三月」は「七月」になり、「七月」は「十二月」になる。
 下宿先も変わっている。職場も仕事も変わっている。何時越したのか、いつ職が変わったのか、どのような事情で変わったのか、記述はない。おそらく、大半は自ら職を辞めたのであろう。にもかかわらず、「明日の米もない」と訴える。職業紹介所に足を運ぶ。借金をする。子どもの頃の成育歴がどのようなものだったのか、理解できる生活である。まさに「放浪」で育った子である。
 登場人物も変わっている。変わらないのは、自己の惨めな独白である。そして、実母と養父を想う心であり、尾道を想う心である。
 読みだして最初に思ったことなのだが、女の書いた日記ということがよくわかる小説である。男は具体的事実を克明に描く。ところが、女は喜怒哀楽を克明に描く。『放浪記』は林フミコの喜怒哀楽の青春記である。
 なお、最初にフミコ(芙美子)の履歴が欲しかった。その一覧表があれば、かなり読みやすかったと思う。(2303)
posted by 矢島正見 at 00:28| 我流雑筆

2018年12月27日

『放浪記』@/8

 林芙美子の『放浪記』を読む。「第一部」「第二部」「第三部」のすべてを。
 「第一部」は昭和5年7月。人気を博し、同年11月「第二部(続放浪記)」が発行される。ここで、「フミコ」は「芙美子」となり、女流作家となり、ようやく生活も安定する。「第三部」は検閲を恐れて昭和24年に出された。
 『放浪記』は、林フミコが大正11(1922)年から大正15(1923)年のおよそ5年間に書いた日記に基づいての自伝小説である。フミコ(のちに「芙美子」)、満で19歳から23歳の日記である。ただし、その日記は現存していないという。芙美子自身が焼き捨てたものと思われている。
 第一部・第二部・第三部は、時系列的には同じ5年間であり、同一の日記の抜粋個所等が異なっているだけだという。
 第一部よりも第二部のほうが具体性が増していく。第二部よりも第三部のほうが赤裸々になっていく。リアリティが増し、その点、読みやすくなっている。例えば、大宮の土手で、実母がウンコをし、フミコもついでに小便をする。面白い場面だ。(2302)
posted by 矢島正見 at 11:30| 我流雑筆

2018年12月21日

中性脂肪値

 検査の結果、中性脂肪値が「614」と出た。極度に高い数値である。
 最近体重が増えだし、腹が出始めてきていたので、中性脂肪値は上がっいると予測はしていたのだが、これほどに高いとは思っていなかった。
 病院に行き、中性脂肪値を下げる薬をいただいてきた。薬を飲み続けていれば、酒を飲み続けていたとしても、3ヶ月ほどで下がっていくことであろう。(2301)
posted by 矢島正見 at 11:32| 我流雑筆

2018年12月16日

2300回の執筆

 2300回執筆した。アクセス回数は一向に増えないが、執筆回数は順調である。執筆回数2500回・アクセス回数20万回あたりで、いったんこのホームページを閉鎖して、まったく新しい、誰もわからない何かを何らかの方法で立ち上げてもいいな、と思っている。老後の楽しみとして。(2300)
posted by 矢島正見 at 13:08| 我流雑筆

2018年12月15日

寒い

 寒くなりました。急に寒くなりました。本格的な冬になりました。
 本日は9時に目が覚めたのですが、余りの寒さに10時過ぎまで布団の中にいました。これから3か月間、布団の中から出られない感じです。
 春は春眠暁を覚えずで、なかなか布団から離れられないし、夏は暑くてぐったりして起きる気になれず、秋は涼しくなり布団の中が恋しくなり、冬は寒くて、ということで、結局一年中、布団の中が一番ということになります。(2299)
posted by 矢島正見 at 00:20| 我流雑筆

2018年12月10日

『エロ事師たち』

 野坂昭如の『エロ事師たち』(1966年)を読んだ。最高の出来である。氏の処女作であることもすごい。時代は東京オリンピックの1964年、舞台は大阪。
 独特の文体が内容と実に一致している。最初読み辛いが、読んでいるうちに慣れてくる。そして好きになる。その点では谷崎潤一郎の文体と同じである。
 野坂昭如では『火垂るの墓』『アメノカひじき』等々を読んだが、これが一番であろう。1970年代以降になると、文体だけが突出して、面白くなくなっていく。そしてエンターテナーとして活躍していく。
 『エロ事師たち』以外では終戦直後を描いた作品とミウチのことを書いた作品とエロの作品が光っている。
 『エロ事師たち』の映画(1966年)は大学生時代に観た。未だに覚えている。監督は今村正平、名監督である。この頃の監督はすごかった。正直、映画が斜陽産業となり、テレビが低俗化してからは、ろくな監督しか出ていない。山田洋二が最後である。
 さて、「スブやん」に小沢昭一、女房の「お春」に坂本スミ子、「お春」の連れ子でスブやんをスケベおやじとしか見ていない高校生に佐川啓子、撮影・映像編集担当で相棒の「伴的」に田中春夫、処女紹介業の「処女屋のおばはん」にミヤコ蝶々、「クロ」に殿山泰司、その娘の「シロ」に桜井詢子、その他、菅井きん、二代目中村鴈治郎、等々、キャストがすごい。
 内容は小説とはいくらか異なるが、映画も実にいい。特に、小沢昭一と坂本スミ子が良かった。なお、「恵子」役の佐川啓子、「シロ」役の桜井詢子は知らない。ネットで調べてもわからない。佐川はグレた娘役で、グラマーで色っぽかった。桜井はシロクロショーの精薄の少女役で、これも可愛かった。小説としては傑出した出来栄えであり、映画としても名作である。(2298)
posted by 矢島正見 at 23:24| 我流雑筆

2018年12月09日

『現代短編名作選1』

 『現代短編名作選1』を読んだ。昭和20年から23年前半までに発表された15本の短編小説が収められている。文庫本は昭和54年に出ている。
 当時の文庫本の活字は皆小さい。古い小説は皆同じで改行が少なく、文字がぎっしりと詰まっている。実に読み辛い。
 15編中、ただ1編のみが比較的読みやすい。太宰治の『桜桃』である。太宰の小説が青年に人気を博したのは、もちろん内容への共感とストーリー展開の旨味にあるが、この改行の多さも多少はあるのではないだろうか。
 15編中、5編は既に読んだことがあるので、残りの10編を読んだ。15編の大半は戦中・敗戦直後を背景として描かれている。まさに時代性である。
 しかし、阪神淡路大震災にしても、東日本大震災にしても、優れた小説は未だ現れていないようだ。人々に大した影響を与えなかったということであろうか。少なくとも、小説に書く、という作家の激しい衝動を起こさなかったのであろう。
 なお、『鏡の中の赤い月』という短編で面白いことに気付いた。場所は国電有楽町駅のプラットホーム。時間は午後八時過ぎ。場面状況は帰宅を急ぐキャバレーの女性たちが群がっている。昭和22年では、既にこの時間でキャバレーは閉店になっていたわけだ。さらに、ホームの向こうには暗い夜の街があった、と書かれている。
 今では考えられないことである。戦後70年という歳月は、明治維新から日中戦争に至るまでの期間と同じということが理解し得る。(2297)
posted by 矢島正見 at 23:35| 我流雑筆

2018年12月07日

『ファミリーバイオレンスと地域社会』

 井上眞理子著『ファミリーバイオレンスと地域社会―臨床社会学の視点から―』を読んだ。何年もかけた調査と文献からの考察であり、力作である。
 ちなみに、「ファミリーバイオレンス」とは、ドメスティックバイオレンス、児童虐待、高齢者虐待、家庭内少年暴力の総称である。(2296)
posted by 矢島正見 at 15:02| 我流雑筆

2018年12月02日

2288

 「我流雑筆」の通し番号がいつの間にか第一頁左上の総数の数値と一つ食い違っていた。このような数値はほとんど気にしていなかったので、いったいいつ頃から食い違ったのかさっぱりわからない。すでに数百回以前なのかもしれない。
 さてさて…、と思っていたところ、実に心優しい方から「2288」がないという指摘をいただいた。「2287」の次が「2289」になっているのである。
 そんな最近のことなら訂正はごく簡単。すぐに訂正させていただいた。おかげで「総記事数」と一致した。(2295)
posted by 矢島正見 at 13:35| 我流雑筆