2018年08月30日

『若山牧水』E

 三好達治は牧水を評して「デカダンス」で「自然主義」と言ったという。〈自然のままのデカダンティスト〉〈デカダンスな自然主義文学者〉といったところだろうか。金にも身なりにも一向に無頓着な呑兵衛の歌人であった。
 文壇の主流派には決してならず、またなろうともせず、理屈で詩歌を語らず、一派を形成することなく、主流派(子規派)からは軽んじられつつも、大衆から愛された歌人であった。その点では、白秋も啄木もよく似ている。
 明治の革命の中で生まれた新文芸運動の文学者ではなく、大正デカダンスを先取りした文学者であった。(2262)
posted by 矢島正見 at 13:54| 我流雑筆

2018年08月27日

『サイゾー』8月号

 『サイゾー』(7月号)については、「2245」にて書いた。8月号でも面白い記事を見つけた。
 まったくの無知であったと反省せざるを得ない記事である。「低コストかつ効率的なゲノム編集が侵す人類の未来」という記事である。ゲノム操作はここまで進んでいたのかと、驚きである。
 資材・資源と技術と費用はテロリスト集団でも十分に獲得可能というのであるから、とんでもない生物(細菌から人類まで)が数十年後に出現してもおかしくない。世界が倫理規範として統制しても、テロリストがそれに従うはずもない。
 今、この技術の先端を行っているのは中国だという。国際的倫理ルールを設定しても、中国は研究開発を中断することはないだろう。中国以外の国がルールを守り研究を自主規制すればするほど、中国との技術格差は大きくなるということだ。そして中国による技術の独占化となる。そうなれば「巨神兵」すら創ることが可能となる。
 世界は近いうちに中国に支配されるというネタがまた一つ増えてしまった。(2261)
posted by 矢島正見 at 22:27| 我流雑筆

2018年08月24日

補聴器

 テレビの通販で、補聴器の販売宣伝をしていた。孫娘が観て、「じいじ、これいいよ、頼めば」ということで、求めることにした。
 孫娘が電話をかけて、注文してくれた。小学生だというのに、しっかりしている。大したものである。
 その補聴器が届いた。早速試してみた。安物なので大して期待していなかったが、それなりの効果はある。
 まず第一に、外部のカンカン・チンチン・コトコト・ゴーゴーといった音は実によく聞こえる。うるさいくらいである。
 次によく聞こえるのが自分の声である。そして外部の人の声が第三によく聞こえる。
 テレビ等の電波化された音声では、音や音楽は良く聞こえる。ただし、電波化された声(テレビや電話の声)は聞き取れない。音だけが大きくなり、雑音が入り込み、肝心の声は小さく、聞き取りずらい。特にドラマでは、バックのミュージックのほうがセリフより大きくなり、かえって邪魔になる。
 安物だから仕方ないので、会議・会合等や音楽を聴く際に用いることにする。(2260)
posted by 矢島正見 at 11:57| 我流雑筆

2018年08月22日

小5の大冒険

 小学5年生の孫娘が、ばあばに会いたくなって、突然、板橋から池袋経由で一人でやって来た。親は知らない。びっくりした。大冒険である。すごいことである。
 一晩泊まって、朝、ばあばに送られて帰って行った。(2259)
posted by 矢島正見 at 13:00| 我流雑筆

2018年08月21日

ガヤガヤと16人

 8月16日、お盆。大人9人(年寄り4人、中年5人)、子ども7人(小学生6人、幼児1人)が集まった。ドヤドヤ・ガヤガヤ、ワイワイ・ペチャクチャと楽しんだ。死んだ爺さんも婆さんも喜んだことだろう(2258)
posted by 矢島正見 at 11:04| 我流雑筆

2018年08月20日

『若山牧水』D

 二十歳そこそこの牧水が心酔していた作家は、国木田独歩と田山花袋だったという。
 独歩はロマンチックな自然主義なので、牧水が心酔したのもよくわかる。花袋は写実性の強い自然主義ではないだろうか。『布団』なら牧水に近いかもしれないが、『田舎教師』では遠いように思える。
 ただし、牧水を考えるとき、彼は藤村・白秋系列であり、正岡子規系列でないことは確かだ。長塚節の『土』に比べれば、牧水はよほど花袋の『田舎教師』のほうに近い。
 なお、大岡信は、牧水の短歌だけでなく、紀行文のすばらしさを評価している。引用文だけからしかわからないが、確かに、すっきりとした、気取りのない、また理屈っぽくない文章である。(2257)
posted by 矢島正見 at 13:46| 我流雑筆

2018年08月18日

『若山牧水』C

 牧水と白秋は早稲田大学の同級生で親友だったという。一時期、牧水は白秋の下宿に泊まり込んでいる。
 そして白秋を介して萩原朔太郎とも知り合いになったという。土岐善麿とも早稲田大学以来の親友である。
 牧水はまた啄木とも友好を交えている。啄木の臨終にただ一人友として臨席したのは牧水であった。啄木の老父・夫人(既に肺結核病み)・一人娘、そした牧水だけの寂しい臨終だったという。(2256)
posted by 矢島正見 at 13:15| 我流雑筆

2018年08月16日

『若山牧水』B

 誰でもが牧水と比べたくなる詩歌人と言えば、石川啄木、北原白秋、古くは西行法師であろう。私はそれに、島崎藤村と中原中也を加えたい。
 ただし、牧水は中也のような自己中心主義者ではないし、わがままなお坊ちゃんではない。牧水は自然体であり、デカダンスではあったが、そして身なりはひどく、また臭かったというが、誰からも好かれている。
 また、啄木のようにいじいじ・うじうじしていない。白秋のように地に足がついていない。西行のように悟りきっていない。散文・随筆は書けたが、藤村のように小説は書けなかった。山頭火はよくわからないので省いた。
(2255)
posted by 矢島正見 at 21:27| 我流雑筆

2018年08月10日

『若山牧水』A

 随所に引用されている牧水の短歌が活きている。今読んでみても、いい。
「宿に入り 酒を静かに 独り呑む 秋の夕べか 冬の夕べか」
「白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりける」
「十七と いふ女の 白き肌 酒を垂らして 戯れてみむ」
「なんとなく 飲みはじめたる 春の夜の 独り静かに 朝をむかへむ」
「かんがへて 飲みはじめたる 一合 二合の酒の 夏のゆふぐれ」
「とろとろと 琥珀の清水 津の国の 銘酒白鶴 瓶(へい)あふれ出づ」
「ただ二日 我慢してゐし この酒の このうまさはと 胸暗うなる」
「わが小枝子 思ひいづれば ふくみたる 酒のにほひの 寂しくあるかな」
「うら若き 越後生れの おいらんの 冷たき肌を 愛(め)ずる朝かな」
「病にて 酒禁じられし 酒恋ふる みつき経ちての 恋に溺れる」
「幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」
「白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染(し)まずただよふ」
「鎌倉の ほろびしあとの 無縁塚 琵琶の音にも 秋風ぞ吹く」
「山ねむる 山のふもとの 海ねむる かなしき春の 国を旅ゆく」
「かたはらの 秋ぐさの花 かたるらく ほろびしものは なつかしきかな」
「山ねむる 山のふもとの 里ねむる 里のとまやの 母と子ねむる」
「いざ行かむ 行きてまだ見ぬ 山を見む このさびしさを 君は耐ふるや」
(*ただし、偽物が6つある。当てた人は大したものである。)(2254)
posted by 矢島正見 at 14:34| 我流雑筆

2018年08月08日

『若山牧水』@

 大岡信『若山牧水―流浪する魂の歌』を読んだ。
 以前、30歳代の頃一度読んだ。既に牧水のファンだったので、読んでみたところ、よくできた論考だと感心した記憶がある。
 しかし、記憶というものはおかしなもので、感心した記憶はあるものの、内容の記憶は消えている。
 そこで、再度読んでみた。やはりよくできた論考である。(2253)
posted by 矢島正見 at 23:00| 我流雑筆

2018年08月05日

週に一度

 週に一度、孫のスイミングスクールについて行く。熱い最中、40分ほどかけて到着する。孫の歩きは速い、ついて行くのがやっとである。
 孫の練習の最中に、私も一般のコーナーで泳ぐ。いや、歩く。まずは、プールサイドで柔軟体操、それからプールの出入り口の浅瀬で再度足の柔軟体操、そしてプールに入り、25メートルプールを歩き方を変えて5往復歩く。すいている場合は、平泳ぎで一往復、元気がある場合はさらにクロールで一往復である。全部で30分ほど。
 早めに出て、孫の出てくるのを待って、帰る。帰りの孫の歩く速さはさらに速い。横浜DeNAベイスターズのテレビを観たり、結果を知るためである。
 暑さは既に和らいでいるものの、まだ外は明るい。信号が青だと、「ジジ急いで」と言われて、赤になるまでに渡りきる。
 これが今の私の唯一の体を動かすことである。(2252)
posted by 矢島正見 at 16:28| 我流雑筆

2018年08月04日

『ヤクザの幹部をやめて、うどん店はじめました。』

 廣末登氏の『ヤクザの幹部をやめて、うどん店はじめました。―極道歴30年 中本サンのカタギ修行奮闘記』を読んだ。
 よくもまあ、これだけ次から次へと本を出すものかと、感心する。ネタに尽きないというところがすごい。秀才では書けない本である。もちろん、鈍才でも書けない。(2251)
posted by 矢島正見 at 17:09| 我流雑筆

2018年08月03日

『気ままに警備保障論2』『警備ビジネスで読み解く日本』

 田中智仁氏の2つの書籍『気ままに警備保障論』『警備ビジネスで読み解く日本』を読んだ。今年の6月のほぼ同時に出版された書籍である。
 若い研究者の頑張り様が分かる書籍であり、また、若い研究者の表現能力の素晴らしさがわかる書籍である。
 『気ままに警備保障論2』は前書『気ままに警備保障論』の続きである。前書同様『警備新報』連載の専門随筆である。それ故に「第41回」からスタートしている。「第80回」まで掲載されているが、まだ続いているようなので、そのうち『気ままに警備保障論3』が出ることであろう。継続する力は大したものである。
 『警備ビジネスで読み解く日本』は、新書(光文社)であり、氏の新書初執筆という栄光の一冊である。実に要領よく、分かりやすく書かれている。これ一冊読めば、日本の警備業のすべてがわかる。お勧めの本である。(2250)
posted by 矢島正見 at 12:17| 我流雑筆