2018年06月24日

続『俘虜記』

 『俘虜記』読了。ようやく読み終えた。
 驚いたことがある。この『俘虜記』によれば、戦艦大和の轟沈も、ソビエトの満州侵攻も、広島の原爆投下(投下されたのが原子爆弾ということ)も、ポツダム宣言も、8月10日のポツダム宣言受諾も、日本の最後の要求が「国体護持」であることも、その日のうちに、全て知っていたのである。
 満州にいる日本人にはまったくそのような情報は届いていなかったし、内地の日本人ですら知らないことまで知っているのである。全てアメリカ軍からの情報である。その情報を俘虜は当然のこととして入手していたのである。これには驚いた。

 書き方が、前半と後半ではいくらか異なっている。各章が短編として出され、そのあとで、一つの小説にしたため、その間5年の間隔があるためである。大岡氏自身「あとがき」で、そのように書いている。
 「知的エリート目線での人格描写・人物評」は、前半部分に集中している。後半からは筆に余裕が出てきたのか、人格描写・人物評に嫌み・憎しみがなくなってきている。5年の歳月が、日本を変え、大岡氏の生活を変え、氏の認識を変えていったのであろう。
 それ以外にも、私自身にとって納得と思える記述や驚きの記述があり、読み応えある(しかも、活字が小さいので、さらに読み応えのある)文庫本であった。

 なお、「附」として「西矢隊始末記」が掲載されている。漢字交じりのカタカナ文体であり、俘虜となるまでの出来事(『俘虜記』の第一章に相当)が淡々と記されている。小説というよりも、作家の書いた日誌風の記録書である。こういうものが大事である。(2234)
posted by 矢島正見 at 12:20| 我流雑筆