2018年06月02日

『清水幾太郎の覇権と忘却―メディアと知識人―』

 竹内洋の『清水幾太郎の覇権と忘却―メディアと知識人―』を読んだ。よくぞここまで調べ上げたものだと、感心する。素晴らしい出来栄えである。
 竹内洋の『革新幻想の戦後史(上)』『同(下)』を読んで、実に面白く素晴らしい本であると感心した。戦後思想をリードした民主主義・平和主義イデオロギーのメディア知識人たちのことが実に詳しく書かれている書であった。
 今回は、その中の一人、社会学者清水幾太郎に焦点をあて、東大教授になれなかった怨念、大学(旧帝国大学)の学者への批判、平和主義イデオロギストの旗手としての野望、仲間の左派ラディカリストとの対立、等とが重なり合った形で進行していく。
 もちろん実名で日本の知識階層の超有名人が続出している。知る人にとってはそれだけでも面白い。
 今少し述べる。今度は批判的に。
 清水幾太郎は帝国大学(東京大学)を首席で卒業。卒業後、戸田貞三の指名で副手となる。帝国大学教授への途の船出である。しかし、その後、戸田貞三の機嫌を損ねて解任される。
 これらのことを低階層出身であるにもかかわらず旗本崩れの家系という清水の生い立ちまで遡り、プライドをもった賤民的欲望として説明する。以下の清水の人生行路も同じ論理図式で語られていく。
 しかし、どうも、その点は無理があるように思える。誰がみても東大首席卒業ということだけで、超エリートである。また、戦前には、没落して低階層となった元旗本・御家人・武士・公家なんてのは何十万といた。落語家の古今亭志ん生だってそうだった。
 ひと言で言うなら、帝国大学首席の超エリートがそれでも満足できず極超々エリートになりたかったということだ。学習院大学教授では物足りず、東大の教授になりたかったということだ。
 おそらく彼が一番惨めさを味わったのは、自分より年下にもかかわらず血筋の良い丸山眞男が東京帝国大学から東京大学教授となったこと、そして彼が丸山眞男との戦後思想界のリーダー覇権闘争に破れたことであろう。この怨念はおそらくすさまじいものだったに違いない。
 立身出世賛美の時代に、超秀才として青少年期を過ごした者だけが抱くことのできる、特権的な限りない出世・名声欲望獲得とその挫折の個人史である。(2229)
posted by 矢島正見 at 11:58| 我流雑筆