2018年02月12日

坂口安吾『魔の退屈』『私は海をだきしめていたい』

 坂口安吾の作品は『堕落論』『白痴』『不連続殺人事件』を読んだ記憶がある。
 太宰治、織田作之助と並んで、戦後に新文学の旗手とかデカダンス作家とか呼ばれた作家であり、また三人とも若くして死んでいる。
 坂口安吾の作品は織田作之助の作品とは全く異なる。
 一方は大阪が舞台であり、今一方は東京中心に書かれている。一方は極めて具体的に書かれており、今一方は極めて抽象的であり、告白調であり、思想的であり、理屈っぽい。この『魔の退屈』『私は海をだきしめていたい』はその典型である。
 『私は海をだきしめていたい』では、どこに住んでいるのか、何をして生活しているのか、仕事は何か、収入は月にどれ程あるのか、一日をどう過ごしているのか、何を食べているのか、食事は誰が作るのか、等々、まったくわからない。
 だだ、元娼婦の女との肉欲感情がデカダンス的に書かれているのである。どうせならばセックス場面を事細かに書いてくれていればよいのだが、それもない。
 『魔の退屈』では、「荒正人」「平野謙」と実在の人物が登場し、これでもかというほどに描かれている。これには驚いた。織田の作品にも作家という「私」は出てくるが、同僚の作家・評論家等は出て来ない。これも大きな違いであろう。坂口安吾はデカダンス作家ではあったが、東京の文壇の中で生きていたのであろう。
 なお、織田の小説よりも改行が多く、会話の部分も多く、読みやすい。感情中心の理屈小説のところも、現代的であり、むしろ読みやすい。(2179)
posted by 矢島正見 at 11:06| 我流雑筆