2017年07月30日

以前の記述B 「ハラキリ」発言

「男ならハラキリしろ!」ロシア副首相が北方領土問題で挑発 「騒いでいるだけ」と侮辱(産経新聞2015年 8月24日(月)19時53分配信 )

「ロシアのロゴジン副首相は23日夜、メドベージェフ首相による北方領土・択捉島への上陸に日本政府が抗議したことに対し、自身のツイッターで「ハラキリ(切腹)」という言葉を使って日本を批判した。」
「ロゴジン氏は「本当の(日本の)男なら、伝統に従ってハラキリをして落ち着いたらいい。今はただ騒いでいる」と侮蔑的な表現を使った。」
「メドベージェフ氏は22日、択捉島に空路で上陸。抗議した日本政府に対し、露外務省は「第二次大戦の結果に異論を唱え続けている」などと批判している。」(モスクワ 黒川信雄)

 他国の領土を侵略しておいて、このような発言が堂々とできるのは、勝戦国であり、強国だからである。また、日本にさほど脅威を感じていないからである。おそらく日本が憲法の第九条を変えても、この横柄な態度(時に狡猾な政略)は変わることはないであろう。
 もしこんなことを日本の首相が近隣の国に対して言ったなら、その国の政府とマスコミと国民は大騒ぎするはずだ(もちろん、日本の政治家もマスコミも国民も大騒ぎするが)。そして、何年も執拗にこの発言を引き出してきて、政治的に利用するはずだ。
 他国のミス発言を政治利用して優位に立とうという狡猾な政治戦略を持たない日本は実に聖人君子の国である。しかし、こうした政府もマスコミも国民もおとなしく寛容な日本は、政治の切り札の使い方がわからない国であり、国際的にみれば政治音痴な国なのかもしれない。
 もっとも、聖人君子の国にしては、ミウチ(国会内)のもめごとは絶えることないが。(2113)
posted by 矢島正見 at 14:56| 我流雑筆

2017年07月28日

以前の記述A 「歴史は勝戦国が記す」

「歴史は勝戦国が記す」(2015年8月)
 ある第二次世界大戦の勝戦国の代表者が、「歴史は勝戦国が記す」(2015年8月)と述べたという。どこからも顕在化した批判はなかったようだ。
 ヒューマニズムイデオロギーの視点からはとんでもない発言だが、歴史推移の現実としてはごく当たり前の発言である。
 歴史は勝った国の歴史となる。これは数千年以前からの真実である。それが第二次世界大戦後70年間過ぎた今でも続いているということだ。
 敗戦国は頭を下げて謝罪し、自己反省する歴史となるか、それとも臥薪嘗胆、いつか必ず復讐すると心に誓う歴史となる。
 自虐的な反省意識を自己増殖化するか、もしくは屈辱さをバネとして復讐心を自己増殖化するのが敗戦国民であるようだ。(2112)
posted by 矢島正見 at 12:27| 我流雑筆

2017年07月23日

以前の記述@ 沖縄少年兵部隊護郷隊

 これから5回のシリーズで、以前に書いたものを掲載する。これらは随分昔に書いたものの、そのまま放置しておいたものである。

沖縄少年兵部隊護郷隊(2015年8月)
 十年以上前にドラマとして見た記憶があるのだが、その時には思い浮かばなかった。今回、戦後70年ということでNHKがだいぶ戦争特集を組んだのだが、その一つとしてこの「沖縄少年兵部隊護郷隊」が取り上げられた(2015年8月のこと)。
 思い浮かんだこととは、幕末の「会津白虎隊」だ。これは〈会津少年兵部隊白虎隊〉と言い得る。時代は異なるものの、ほぼ同じだ。
 ところが、一方は美しい物語として語られ、今一方は残酷な物語として語られる。類似した事実ではあっても、事実に対しての認識と解釈の違いで、まったく別の歴史的事柄になってしまう。
 やはり物事は単眼的近視眼的に(言い換えれば、一方的な正義イデオロギーで)見るのではなく、複眼的遠視眼的に見なくてはいけない。(2111)
posted by 矢島正見 at 12:54| 我流雑筆

2017年07月17日

『戦争にチャンスを与えよ』

 とんでもない本を読んだ。『戦争にチャンスを与えよ』という本だ。タイトルからして、問題のありそうな本だということがわかる。
 戦争肯定論である。よくぞここまで書いたと思える。
 ところが、筆者は戦争論では世界的に有名な研究者であるという。(2110)
posted by 矢島正見 at 19:11| 我流雑筆

2017年07月14日

6月の酒量報告(6月1日〜30日)

 酒量を日本酒に換算して、◎…3合以上、〇…1合以上3合未満、△…1合未満、×…無飲酒。
 1日…〇、2日…〇、3日…◎、4日…〇、5日…〇、6日…◎、7日…〇、8日…◎、9日…〇、10日…〇、11日…◎、12日…〇、13日…〇、14日…◎、15日…〇、16日…◎、17日…◎、18日…〇、19日…〇、20日…〇、21日…△、22日…〇、23日…〇、24日…〇、25日…〇、26日…△、27日…○、28日…〇、29日…◎、30日…〇。
 以上、◎…8日、〇…20日、△…1日、×…0日。
 ◎を3点、〇を2点、△を1点、×を0点としての、ひと月の合計点は65点であった。風邪をひいて、20日以降は自重気味になった。(2109)
posted by 矢島正見 at 18:36| 我流雑筆

6月のご報告(6月1日〜30日)

●学内活動…大学雑務・雑用。授業準備。学部授業(講義・演習・調査実習)、大学院授業(講義・演習)。教育実習各校依頼電話、教育実習授業参加・合評会。学生個別相談・指導。社会問題レポート採点。研究室会議、教授会、大学院会。中大文学部教員紫文会。
●学外活動…一般財団法人青少年問題研究会全体会・理事会評議員会⇒二次会。一般財団法人青少年問題研究会挨拶回り。『青少年問題』原稿読。『青少年問題』執筆依頼。『青少年問題』第670号原案作成。犯罪社会学会理事選挙委員会。警察政策学会少年問題部会。東京都講演打合せ。
●研究・執筆活動…「青少年問題アラカルト(その3)」。警察政策学会ニュースレター「巻頭言」。業績一覧作成(一応完成)。
●読書(執筆のために読んだものは除く)…『徳川将軍家15代のカルテ』『食の人類史』『大阪府警暴力団担当刑事』『人類と気候の10万年史』『滑稽糞尿譚(一部読)』『社会学の力(一部読』『サイゾー(7月号)』。
●私的活動・出来事…上野版院展。風邪(発熱・のどの痛み・咳・黄色の鼻水)・大学休講。(2108)
posted by 矢島正見 at 18:35| 我流雑筆

2017年07月10日

温暖期・寒冷期

 最近、自然科学の本を結構読む。犯罪学や社会学の本は読む気がしない。小説もあまり読む気がしなくなった。読んで面白いと思う本は、歴史書であり自然科学書である。もちろん、一般人向けの本である。
 本を読んでいて「へーっ」と思うことがいくつもある。
 億年単位で大きな気候変動があること、また数千・数百万年単位であること、そして10万年単位であり、23,000年単位であること。気候変動は、こうした巨大・大・中・小の幾つかがあり、定期性をもって現れるという。
 ただし、億単位の大変動であっても、人類が滅びることはない。地球全体が(赤道直下も)氷におおわれるだけのことであり、また逆に地球のどこにも(南極にも北極にも)氷床がなくなるだけのことである。他の惑星のように海の水がすべて蒸発することはない。海面が100メートルほど上下する程度である。
 温暖期は、生物の爆発期であり、多様期である。温暖の方が生物にとっては過ごしやすいという。海面が上昇して大変だと騒ぐのは近現代人だけのようだ。
 ただし、気候変動で9割以上の生物が死滅するということもあったという。しかし、その後は、生物の爆発的出現となる。大半の生物が死滅したが故の繁栄だという。
 小変動では、変動差は10度程度である。最寒冷期には、鹿児島が札幌になる程度であり、逆に最温暖期では札幌が鹿児島になる程度である。
 ここ300万年、地球は寒冷化を示している。しかし、10万年単位でも23,000年単位でも、今は温暖期にある。
 面白いことに、人工的要因での温暖化は、既に8,000年〜5,000年前からその兆候が表れているという。今に始まったことではない。農耕が自然を変えてしまったらしい。
 さらに面白いことは、今から11,600年前の最後の氷期の終わりは、突然に終わったという。1年〜3年の間に、急激に寒冷期は終了し、温暖期に突入したというのである。こんなことが現在起こったならば、大異変である。(2107)
posted by 矢島正見 at 13:17| 我流雑筆

2017年07月07日

「跋」

 『社会病理学的想像力』を書いたとき、「序」の対として最後の一文を「跋」とした。しかし、書籍にて「序章―終章」「はしがき―あとがき」「はじめに―おわりに」という組み合わせはよく見かけるが「序―跋」の組み合わせは見たことがなかった。
 ところが、風来山人(平賀源内)が、「放屁論」にて「自序―跋」の組み合わせを使っていることを知った。
 偉大な先人が使っていることに感動し感激し安堵した。(2106)
posted by 矢島正見 at 10:05| 我流雑筆

2017年07月03日

発熱・その後のその後

 孫姫様が発熱した。しかし、私と接触してから一週間後の発熱なので、私からうつったというわけではなさそうだ。保育園のようだ。
 熱が下がったと思っていたが、そうではなかった。37度前半の熱が一週間ほど続いた。咳も激しく出た。土曜日頃からようやく平常に戻った。今回は随分と長引いた。
 なお、相変わらずくしゃみは出る。これは風ではなく、ダスト過敏症である。(2105)
posted by 矢島正見 at 11:46| 我流雑筆

2017年07月01日

「中国水火譚」

 面白い文を読んだ。「中国水火譚」だ。
 「糞」というのは「米」が「異」なって「糞」となる、というのは誤りとのこと。『学研漢和大辞典』によると「糞」の解字は「米」の下に「田」(、漢字が出て来ない。畑にばらまくの意)と「共」(両手の意)の二つであるとのこと。つまり「糞」とは肥料を手でまいて畑を肥やす、という意味であるらしい。目から鱗である。
 中国では、圂は厠のことである。これは豚を囲ったところであり、豚小屋である。厠の下が豚小屋であり、人糞が豚の餌になっていたということは知っていたが、実は逆で、豚小屋の上に穴を開けてそこから便を垂れたということであって、豚小屋転じて厠を意味するようになったとのことである。
 私としては、実に面白い知的関心なのだが、こんなことを面白いと思う人が日本にはどれほどいるであろうか。
 なお、「溷(コン)」も「厠、便所」のことをいう。(2104)
posted by 矢島正見 at 12:06| 我流雑筆