2016年07月28日

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第九章」A

 しかし、大村の死や騎兵隊の反乱等により、征韓は延期せざるを得なくなる。そこで、木戸は岩倉と共に外遊に出かける。
 帰国後、征韓は時期尚早と考えを変えた木戸・岩倉は、非武力による征韓・征台論を固持し続けていた西郷を権力の座から追放した。
 なお、その前に起こった江藤派の佐賀の乱は征韓決定主張の名の下での挙兵、という。つまり、征韓すべし、という名目での挙兵だ。このへんよくわからないが、政府は何をもたもたしているのか、一刻も早く征韓せよ、という抗議を名目としたのであろうか。
 とにかく、倒幕した維新の英雄たちは、その初期ではほぼ全員が征台・征韓論者だったのではないかと推察せざるを得ない。例外として推定される大物は、坂本龍馬くらいしか思い浮かばないほどである。
 ここから推定し得ることは、幕末の志士は極めて昭和の青年将校に類似していたということだ。言い換えれば、昭和の諸事変を起こした(未遂を含めたら、たくらんだ)将校・国粋思想壮士は、幕末志士の復刻版であった、とすら言い得る。ひと言でいえば、《国の行く末を憂い、血気にはやった正義の青年群像》ということだ。共に「尊皇攘夷」の《憂国の士》ということになる。
 追記:征韓論の急先鋒は、どうやら板垣退助だったようだ。また、吉田松陰も征韓を唱えていたようである。(1973)
posted by 矢島正見 at 11:56| 我流雑筆

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第九章」@

 「第九章 太政官徴兵軍勝利す――西南戦争」。このタイトルはごく平凡である。ただし、内容は面白い。ここでも「ほんまかいな」というところが、随所に登場する。
 倒幕戦争当時から官軍は既に征韓・征台構想を持っていたという。日本を統一したら次は韓国と台湾を征服するという構想である。「征韓は維新の一部」ということだ。岩倉も木戸も大久保も西郷も帝国主義者であったと言えよう。
 私の今までの知識である、西郷が征韓論者で、岩倉・木戸・大久保に反対され、権力闘争に敗れ鹿児島に下った、という見解ではない。征韓・征台の主流派は木戸を中心とした長州だったというのだ。金子氏の記述は薩摩善・長州悪の傾向を示す。(1972)
posted by 矢島正見 at 00:33| 我流雑筆