2016年07月31日

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第九章」C

 以上をもって終わりとする。
 本書はどれほどの信用性があるかいささか疑問ではあるものの、日本史の別の見方を私に提供してくれた。
 特に、弥生時代から古墳時代にかけてのヤマト統一国家成立に至る戦国時代の半島―列島覇権史、東国縄文文化諸国侵略・征服史、そして征韓・征台がらみの幕末・維新史は面白い。(1975)
posted by 矢島正見 at 10:19| 我流雑筆

2016年07月30日

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第九章」B

 さて、西南戦争。
 「西郷を暗殺する権限を委された政府の刺客派遣を直接の動機として西南戦争が勃発した。」と書かれている。「ほんまかいな」と驚いた。暗殺が実行されようとしていたのだ。もしそうであるなら、薩摩青年・壮年武士団の怒りがよく理解し得る。
 薩摩は国家に反乱するのではなく、現政府が崩壊したとしても、薩摩が健在であれば日本国家は崩壊しない、という考えに基づいての薩摩独自の富国強兵策であったという。それは事実のようだ。
 しかし、政府にとっては、国内に第二国家が存在するようなもの、国内が安定化するにしたがい、薩摩が邪魔になったのも確かであろう。そして、暗殺という手段に出た。西郷を殺してしまえば何とかなると考えたのだろう。(1974)
posted by 矢島正見 at 11:30| 我流雑筆

2016年07月28日

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第九章」A

 しかし、大村の死や騎兵隊の反乱等により、征韓は延期せざるを得なくなる。そこで、木戸は岩倉と共に外遊に出かける。
 帰国後、征韓は時期尚早と考えを変えた木戸・岩倉は、非武力による征韓・征台論を固持し続けていた西郷を権力の座から追放した。
 なお、その前に起こった江藤派の佐賀の乱は征韓決定主張の名の下での挙兵、という。つまり、征韓すべし、という名目での挙兵だ。このへんよくわからないが、政府は何をもたもたしているのか、一刻も早く征韓せよ、という抗議を名目としたのであろうか。
 とにかく、倒幕した維新の英雄たちは、その初期ではほぼ全員が征台・征韓論者だったのではないかと推察せざるを得ない。例外として推定される大物は、坂本龍馬くらいしか思い浮かばないほどである。
 ここから推定し得ることは、幕末の志士は極めて昭和の青年将校に類似していたということだ。言い換えれば、昭和の諸事変を起こした(未遂を含めたら、たくらんだ)将校・国粋思想壮士は、幕末志士の復刻版であった、とすら言い得る。ひと言でいえば、《国の行く末を憂い、血気にはやった正義の青年群像》ということだ。共に「尊皇攘夷」の《憂国の士》ということになる。
 追記:征韓論の急先鋒は、どうやら板垣退助だったようだ。また、吉田松陰も征韓を唱えていたようである。(1973)
posted by 矢島正見 at 11:56| 我流雑筆

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第九章」@

 「第九章 太政官徴兵軍勝利す――西南戦争」。このタイトルはごく平凡である。ただし、内容は面白い。ここでも「ほんまかいな」というところが、随所に登場する。
 倒幕戦争当時から官軍は既に征韓・征台構想を持っていたという。日本を統一したら次は韓国と台湾を征服するという構想である。「征韓は維新の一部」ということだ。岩倉も木戸も大久保も西郷も帝国主義者であったと言えよう。
 私の今までの知識である、西郷が征韓論者で、岩倉・木戸・大久保に反対され、権力闘争に敗れ鹿児島に下った、という見解ではない。征韓・征台の主流派は木戸を中心とした長州だったというのだ。金子氏の記述は薩摩善・長州悪の傾向を示す。(1972)
posted by 矢島正見 at 00:33| 我流雑筆

2016年07月25日

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第七章」

 「第七章 陸の鉄砲・海の大砲――朝鮮の役」。秀吉の朝鮮半島出兵である。これはタイトルが面白い。
 半島での戦いでは、問題は多々あったものの、日本軍は陸の戦いでは明軍に勝っていた。それは鉄砲の威力の違いであった。海の戦いでは明軍が日本軍に勝っていた。それは大型戦艦とそれに備え付けられた大砲の違いであった、という。
 この説は、多くの研究者が論じているところである。信長が巨大戦艦によって毛利水軍を撃破したにもかかわらず、秀吉はその教訓を学んでいなかったということである。陸戦経験豊富で城郭攻撃得意の秀吉の限界であった。(1971)
posted by 矢島正見 at 14:42| 我流雑筆

2016年07月24日

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第二章」A

 日本に人が渡って来たのは3万〜5万年ほど前のことだったという。
 縄文時代が始まったのは1万数百年程前とのこと。そして1万年程の間、戦争らしき戦争はなかったという。広くて豊かな環境の日本では、戦争をする必然性はない。島国であり、外部からの侵入者がいないことも幸いした。よって、人を殺す武器・武具もない。もちろん軍隊もない。
 これは世界史上実に希なことだという。
 しかし、外部からの侵入によって、その平和も崩壊する。大陸から、半島から好戦的な人々が入り込んできたのだ。
 半島から来た人たちは列島でも戦いに明け暮れていたが、日本海側では能登半島を挟んで東側、太平洋側では富士箱根を挟んで東側、中央部は飛騨山脈を挟んで東側は、未だ平和な時代を過ごしていた。
 おかしくなったのは、律令制が整備され、国家が確立されてからのことだ。半島支配政策から列島東部支配政策へと歴史が大きく方向転換される。覇権主義人間は、数百年たっても覇権という生物的文化的遺伝子が残っていたのであろう。
 平和な時代は、平和な人たちだけなら成立するが、そうでない人たちが一定数以上入り込んで来た場合は、たちどころに壊滅されるのが数千年の歴史の教訓である。(1970)
posted by 矢島正見 at 14:31| 我流雑筆

2016年07月23日

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第二章」@

 これから、ようやく「第二章」が始まる。
「第二章 律令徴兵歩兵の誕生と終末--蝦夷百年戦争」…これもまたサブタイトルが面白い。
 朝鮮半島の覇権を断念した大和朝廷は、今度は東に目を向ける(つまり、言い換えれば、それまで大和朝廷にとって東は異境の地であり、ほとんど関心を示していなかった、ということだ)。
 こうして、蝦夷への侵略戦争が始まる。これは百年の歳月を要したが、武力に勝る・そして戦いに慣れている大和朝廷の勝利で幕が閉じる。
 「海北四百年戦争」という戦争に明け暮れた弥生闘争文化が戦争無知・未経験の縄文平和文化を滅ぼした、と言ってよいであろう。
 これで、1万年にも及んで平和な時代を築いた縄文時代は幕を閉じるのである。
 平和な民族の国に戦闘的な民族が侵入してきたときには、必ずと言ってよいほど平和な民族が滅びる。(1969)
posted by 矢島正見 at 11:50| 我流雑筆

2016年07月21日

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第一章」J

 今少しお付き合い願いたい。
 第三の「狗奴国」連合国家のことである。この「狗奴国」は『魏志倭人伝』に卑弥呼との関係で出てくるだけで、あとは全くと言ってよいほど出てきていないようだ。
 出てきたとしても敵役か脇役である。『古事記』にも『日本書紀』にも出てないし(たぶん)、風土記もないようだ。
 ということは、野蛮で戦闘的ではあっても、国家覇権闘争という政治の表舞台では、さほどの脅威ではなかったと思われる。南大陸・南方諸島⇒南九州⇒南四国⇒紀伊半島南部と、その海域が支配圏だったのだろう。
 しかも、海洋民族であり、土地を奪いそこに定住する、という領土征服野望はあまりなかったのではないかと思われる。この時代、そういう民族は歴史の勇者にはなったとしても、歴史をつくることは少なかったのではないか。
 例外は地中海の海洋民族だけなのではないかと思える。ただし、フェニキア人を典型とする地中海海洋民族は商業民族と化してしまい、農耕定着民とはならず、地域占領は交易の拠点化のためであって、地中海交易の独占に走っていった。
 地中海の覇権を握ったローマ帝国は海洋国家とは言えない。海洋(帝国)国家が本格的に成立するのは、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリス等、近代になってからである。(1968)
posted by 矢島正見 at 23:01| 我流雑筆

2016年07月18日

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第一章」I

 まとめると、日本史の始まりは、
@半島―列島史の連続体として読み解くことができる。
A列島史では400年間の海峡を挟んでの覇権戦争があった。
B列島史は、スソノオノミコト⇒大国主命系列の山口―島根―鳥取―福井―石川―滋賀―京都―奈良―岡山―兵庫を最大時勢力圏とした連合国家(これを「イズモ」と呼んでおこう)と、アマテラスソウミノカミ⇒卑弥呼系列の北九州―瀬戸内沿岸(四国北部・中国南部)―岡山―兵庫―大阪―奈良―伊勢を最大時勢力圏とした連合国家(これを「ヤマト」と呼んでおこう)の二大勢力のやはり400年間に及ぶ覇権戦争であった。
C結果は、半島では「イズモ」と連合した新羅が勝利したが、列島では逆に百済と連合した「ヤマト」が勝利した、ということである。(1967)
posted by 矢島正見 at 12:37| 我流雑筆

2016年07月15日

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第一章」H

 既にこのことは、かなり以前に述べたことなのだが、『魏志倭人伝』の邪馬台国に至る道程の記述に書かれている「南下」とは、玄界灘から日本海を通り大国主命出雲連合国家に至る「北経路」との峻別であり、玄界灘から瀬戸内を通り大阪に至る「南経路」のことを述べているのである。
 当時、出雲への海路を「北海路」、大阪への海路を「南海路」と峻別されていたのではないかと推察する。となると、邪馬台国は卑弥呼時代のヤマト(奈良)となる。
 さて、繰り返しになるが、一方のアマテラスソウミノカミ⇒卑弥呼系列は、北九州⇒瀬戸内沿岸(四国北部・中国地方南部)⇒大阪⇒奈良へと勢力を拡大化していき、一時期は、岡山・兵庫・大阪・奈良に至る広大な地を占領するに至るが、既に記した通り、卑弥呼の死後、一時期劣勢となる。しかし、大国主命の死後、勢力を再度拡大化し、岡山・兵庫・大阪・奈良を奪還し、伊勢を併合し、さらに出雲連合国家を打ち破る。
 そして、出雲連合国家の後ろ盾となっていた新羅の軍を百済と組んで打ち破り、朝鮮半島の南半分を占領するに至るのである。
 新羅としては、出雲連合国家の滅亡により、かなりの勢力をそぎ落とされていたので、この時は敗北せざるを得なかった、という次第である。(1966)
posted by 矢島正見 at 09:20| 我流雑筆

2016年07月11日

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第一章」G

 しかし、アマテラスソウミノカミ⇒卑弥呼系列の連合国家は半島南部に未だ大きな勢力を持っていたこと、半島と列島の間にはいくつかの島があり、交通の便が良かったこと、博多という良港をもっていたこと、福岡・佐賀・熊本という大穀倉地帯を有していたこと、中国大陸皇帝との関係が維持され続けていたこと、等々の有利さがあり、カリスマ指導者大国主命亡き後、岡山兵庫連合群が内部分裂したのを契機に、岡山兵庫連合群を破り、大阪に拠点を創るに至る。
 さらに、紀伊半島経由で奈良の地を奪還し、北九州⇒瀬戸内沿岸⇒大阪⇒紀伊⇒奈良⇒京都⇒伊勢、という大勢力となるのである。
 アマテラスソウミノカミ⇒卑弥呼系列連合国家の巻き返しである。(1965)
posted by 矢島正見 at 15:40| 我流雑筆

2016年07月10日

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第一章」F

 当時、奈良には三輪大神連合群が形成されており、卑弥呼国家連合群との激しい戦いを繰り広げていたが、卑弥呼の死後、大国主命出雲連合国家と連合を組んだ三輪大神連合群が圧勝するに至る。また、岡山兵庫にも一大連合群が形成されていたが、これも瀬戸内を支配する卑弥呼連合国家群との激しい戦いを繰り広げていたと推測する。
 これら三輪大神連合群と大国主命出雲連合国家が、さらに岡山兵庫連合群と大国主命出雲連合国家が協定を結び三連合の巨大な大国主命出雲連合国家が形成され、それに敗れたアマテラスソウミノカミ⇒卑弥呼系列の連合国家は広島以西にまで退くことになってしまう。
 もちろん、九州南部・四国南部・紀伊半島南部には海洋民族の狗奴国の末裔が未だ勢力を保っている。(1964)
posted by 矢島正見 at 17:38| 我流雑筆

2016年07月08日

6月の酒量報告(6 月1日〜30日)

 酒量を日本酒に換算して、◎…3合以上、○…1合以上3合未満、△…1合未満、×…無飲酒。
 1日…○、2日…◎、3日…△、4日…○、5日…○、6日…○、7日…○、8日…○、9日…○、10日…○、11日…◎、12日…○、13日…○、14日…○、15日…○、16日…○、17日…◎、18日…◎、19日…◎、20日…○、21日…○、22日…○、23日…○、24日…○、25日…○、26日…○、27日…○、28日…○、29日…○、30日…○。
 以上、◎…5日、○…24日、△…1日、×…0日。
 ◎を3点、○を2点、△を1点、×を0点としての、ひと月の合計点は64点であった。随分と酒量が減った。しかし、週に3日ほどは疲れ切って、20時過ぎから飲みだすのは変わっていない。夏休みにならない限り、変わらないと思える。(1963)
posted by 矢島正見 at 09:29| 我流雑筆

6月のご報告(6月1日〜30日)

◎学内活動…大学雑務。教授会。大学院会。研究室会議。入試・広報委員会。講義・演習・実習。大学院講義。学生個別指導。ミニテスト・ミニ宿題採点。
◎学外活動…一般財団法人青少年問題研究会全体会・評議員会・理事会。福祉法人恵友会20周年記念式典・パーティ。東京都小中高生規範調査打合せ。東京都高齢者万引き有識者研究会打合せ。東京都高齢者万引き資料読。日本社会病理学会理事会。警察政策学会研究会。
◎研究活動…東京都規範調査票作成(これは本当にしんどかった)。東京都高齢者万引き資料読(これは随分と読んだ。かなりの時間を費やした)。犯罪心理学辞典校正。
◎読書…研究以外の読書なし。
◎私的活動・出来事…東京都美術館版院展・高校クラス会。矢島ゼミ卒生飲み会。
*基礎演習、調査実習での学生からのメール報告への返信と各班ごとの報告整理が意外と大変である。毎週3時間ほどかける。さらに、社会問題のミニテスト・ミニ宿題の採点もほぼ1日がかりである。(1962)
posted by 矢島正見 at 09:28| 我流雑筆

2016年07月07日

金子常規『兵器と戦術の日本史』「第一章」E

 ここからは私の単なる推測である。
 思うに、大国主命出雲連合国家と三輪大神奈良連合国家は、スソノオ⇒大国主命系列であり、これは大陸⇒半島北部系の人びとであり、卑弥呼連合国家は、アマテラスソウミノカミ⇒卑弥呼系列であり、大陸⇒半島南部系の人々であったのではないだろうか。そして両者は、もともと半島にて覇権を争っていたのではないだろうか。
 また、スサノオを初代とする連合国家は、現在の島根⇒鳥取⇒福井⇒石川を占領し、さらに西では山口へ進出、また南下して滋賀⇒京都⇒奈良、別ルートで南下して岡山⇒兵庫と、大国主命の時代には一大連合国家圏を形成するに至ったのではないだろうか。(1961)
posted by 矢島正見 at 22:26| 我流雑筆