2015年10月31日

お粗末ながら

「初雪や 二の字二の字の 下駄のあと」…江戸時代の有名な俳句である。
「初雪や 一の字一の字の 一本下駄のあと」…落語の句である。
「初雪や 足跡くっきり 侵入盗」…犯罪学の句である。
「初雪や 小便をして かき氷」…私が子供の頃の兄貴を詠んだ句である。
「初雪や 小便をして 尻にしもやけ」…私が子供の頃の近所の女の子を詠んだ句である。(1854)
posted by 矢島正見 at 10:59| 我流雑筆

2015年10月25日

元に復帰

 夏休みに論文執筆用以外の本が読めなかった反動で、ずいぶんと本を読んだ。
 それもこの辺で終わりだ。また、元に戻ることにする。
 やり残した仕事の締め切りが近づき、さらにのんびりとしていられない季節が近づいてきた。(1853)
posted by 矢島正見 at 13:17| 我流雑筆

2015年10月22日

9月の酒量報告(9月1日〜30日)

 酒量を日本酒に換算して、◎…3合以上、○…1合以上3合未満、△…1合未満、×…無飲酒。
 1日…○、2日…◎、3日…◎、4日…○、5日…○、6日…○、7日…○、8日…○、9日…○、10日…○、11日…○、12日…○、13日…○、14日…◎、15日…○、16日…○、17日…○、18日…○、19日…○、20日…○、21日…◎、22日…○、23日…〇、24日…〇、25日…〇、26日…○、27日…◎、28日…○、29日…○、30日…○。
 以上、◎…5日、○…25日、△…0日、×…0日。
 ◎を3点、○を2点、△を1点、×を0点としての、ひと月の合計点は65点であった。
 毎日、ほぼ三合前後呑んでいる、ということである。飲む量は少なくなってきているのだが、酔いの具合はさほど変わっていない。つまり、少量で酔うようになったということだ。つまり、酒に弱くなったということだ。(1852)
posted by 矢島正見 at 22:00| 我流雑筆

9月のご報告(9月1日〜30日)

○学内活動…教育実習評価。授業(現代社会研究、社会調査実習、社会学演習、大学院)夏期ゼミ合宿。大学雑務。後期授業準備。ゼミ生個別指導。大学院入試。健康診断。卒業生来室。
○学外活動…『青少年問題』原稿読。一般財団法人青少年問題研究会全体会。
○研究活動…「日本における生活機能障害アプローチ社会病理学の系譜」…「序章」〜「第6章」まで、加筆・訂正。図書文献調べ。日本犯罪心理学会大会(仙台)。
○読書…研究目的以外で読んだのは、『世界の戦争史(上)』『聖断』『戦国武将』『世界の戦争史(下)』『日本を決定した百年』。
○私的活動・出来事…佐渡へ(1泊2日)。飲み会・カラオケ。夏風邪をひく。タカオクリニック。(1851)
posted by 矢島正見 at 21:59| 我流雑筆

2015年10月19日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その36(まとめA)

 戦史は流れとして捉えること。
 日本の近現代戦史にあっては、幕末・維新革命内戦から日清・日露戦争、大東亜戦争、戦後、現在までを別の歴史としてではなく、歴史の連続体として捉えること。
 言い換えれば、幕末・維新内戦/日清・日露戦争/大東亜戦争(日中戦争・太平洋戦争)/戦後と、分離させて捉えないこと。
 近代日本戦史は日本史と世界史とを接続させて体系的に捉えること。また、政治史・経済史・社会史を統合して捉えること。

 これらのことに関しては特に学術的専門的知識を必要とはしない。
 専門に特化すると視野が狭くなり、かえって全体が見えなくなってしまうことがある。 浅くても、広く、論理的体系的に捉えることが必要である。
 近現代史書(日本史・世界史、政治史・経済史・戦争史・文化史)の百冊も読めば事足りる。
 それこそが学問における「教養」というものである。

 戦史は、個人史と社会史を相互に関連させて捉えること。
 戦史は、ミクロの関係とメゾの状況とマクロの構造を相互に関連させて捉えること。
 そこに時代を診断し処方する〈社会科学的想像力〉がある。

 以上、完。(1850)
posted by 矢島正見 at 23:52| 我流雑筆

2015年10月18日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その35(まとめ@)

 政略・戦略に関しては、
 政治家(与党も野党も)の発言に惑わされないこと。かと言って、無視しないこと。
 政治活動団体の正義に惑わされないこと。かと言って、無視しないこと。
 マスコミの正義を疑うこと。かと言って、無視しないこと。
 右にも左にも、タカ派にもハト派にも、思考的に一定の距離を置くこと。
 当該社会・時代の正義を無批判に信奉しないこと。

 政略・戦略は、国家利己的なものであり、狡猾なものであり、取引き・駆け引き・交渉である、ということを認識すること。
 それ故に、時代と状況と相手側を常に分析し、中長期の展望に立つこと。(1849)
posted by 矢島正見 at 23:07| 我流雑筆

2015年10月16日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その34

 マスコミと同じことが国民にも言える。日本の国民は浮かれすぎた。明治の後半頃からそれがひどくなっていった。
 日清、日露と「勝った、勝った」と大はしゃぎし、朝鮮合併賛成、台湾合併賛成、満州侵略賛成、満州国建設賛成と大はしゃぎし、軍部の侵略に好意を示し、我も我もと満州開拓団にはせ参じた。つまり、侵略に加担した。
 そして日中戦争と太平洋戦争初期までは勝った勝ったとやはり大はしゃぎし、太平洋戦争後半の戦局が怪しくなりだし、本土が空爆されてから気分が変わり、終戦後はほんとは戦争は嫌だったと言い出し、だまされていたと言い出し、自己の無知を顧みず、はしゃいだことはけろりと忘れ、自分たちには一切責任はないと思い込み、国民は犠牲者だと思い込み、個人的な悲惨さを戦後一貫して主張しているのである。
 日清戦争の開始(1894)から大東亜戦争終結(1945)までのほぼ50年間のマスコミと国民の戦争加担史(全4巻ほど欲しい)があるか否か、今度検索してみようと思う。(1848)
posted by 矢島正見 at 16:23| 我流雑筆

2015年10月12日

3連休

 3連休。孫の運動会、宿場祭り、孫4人のお泊り。これですべて終わり。(1847)
posted by 矢島正見 at 18:11| 我流雑筆

2015年10月11日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その33

 それにしても日本のマスコミはひどかった。明治の後半頃からひどくなっていった。
 日清、日露、大東亜とはしゃぎ、騒ぎ立て、国民を戦争へと煽ったにもかかわらず、また、国策を推奨し、朝鮮合併賛成、台湾合併賛成、満州建国賛美、満州開拓団の奨励と、侵略に加担したにもかかわらず、そして日中戦争と太平洋戦争の初期までは勝った勝ったと国民を鼓舞したにもかかわらず、太平洋戦争後半の戦局が怪しくなりだしてからの一時期での大本営のウソを報道させられたと、たったそれだけの期間と理由を誇張し、他は顧みることなく知らぬ顔をし、戦後は、自分たちを犠牲者・被害者として、のうのうと正義面していたわけだ。(1846)
posted by 矢島正見 at 10:18| 我流雑筆

2015年10月10日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その32

 勝戦国は、政府もマスコミも国民も、平和を口にしながらも、二度と戦争は致しません、とは言わない。敗戦国は、政府もマスコミも国民も、事あるごとに、二度と戦争は致しません、と言う。
 もっとも、第一次世界大戦以前までの戦争では、敗戦国も、二度と戦争は致しません、と言わなかった。それどころか、ヨーロッパ戦史を読むと、負けた国のほうが軍を近代化させていった。(1845)
posted by 矢島正見 at 18:09| 我流雑筆

2015年10月06日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その31

 江戸時代後期以降の尊皇思想が幕末で政治イデオロギーとなり、明治以降は強大な宗教となり、軍人や国民にとっては帝国憲法よりも上位となる。そして昭和にはオカルト化していく。大東亜戦争の最大の要因はここにあったのではないか。
 幕末内戦から大東亜戦争まで、常に天皇は利用され続けた。自己の持てる強大なカリスマ性を発揮させた天皇は一人もいなかった(いくらか明治天皇は積極的であったというが)。体力と知力があり、そして殺される・もしくは幽閉される覚悟程の強烈な意志があれば、天皇は陸軍も海軍も内閣も議会も(そしてマスコミも国民も)支配し、良きも悪しきも独裁化しえたはずである。(1844)
posted by 矢島正見 at 12:30| 我流雑筆

2015年10月05日

今年の夏休み

 毎年度であるならば、実質的な夏休みは20日ほどでしかない。ところが、今年度は多分な夏休みをいただいた。久しぶりのことである。
 一昨年度は前期週5回の勤務体制(後期は週4回)であった。昨年度は週4回の勤務体制だった。それが今年度は週2回の勤務体制になった。これはやはり無理があり、実質的には週3回ではあったが、それでもかなり楽であった。
 夏休みに入り、試験の採点、レポートの採点、調査実習報告書の査読・採点と、例年では16日間全日費やされたが、今年度はそれが6日間で済んだ。
 さらに、今年度から愛知大学での集中講義が無くなった。これで6日間の余裕ができた。そこで計、昨年よりも16日ほど多くの余裕ができた。これはすごいことである。
 おかげで、論文執筆が驚くほどに進んだ。7月の後半から8月、そして9月初めまでに400字詰原稿用紙にして500枚以上執筆した。
 それでも、大学内外の用事は多々あった。恒例の夏休みゼミ合宿もあった。孫がお泊りに来た。それをこなしてもこの余裕である。大学の大半の教員は、今年度の私と同じほど、もしくはそれ以上の自由時間を毎年度もっていることと思う。いまさらながら、羨ましいと言わざるを得ない。(1843)
posted by 矢島正見 at 11:58| 我流雑筆

2015年10月04日

9月10日から

 9月10日から、ざわざわ・いそいそしていた。
 ゼミ合宿・佐渡旅行・後期授業開始・犯罪心理学会大会参加・大学院入試・帰国子女面接試験・委員会・犯罪社会学会会計監査・等々。
 ようやく落ち着きだした。これからは後期の授業も落ち着くであろう。(1842)
posted by 矢島正見 at 09:42| 我流雑筆

2015年10月02日

大学後期開始

 夏休みも終わり、大学が始まった。
 また、多摩センターや稲田堤で呑むことになる。(1841)
posted by 矢島正見 at 11:11| 我流雑筆