2015年09月28日

風邪

 最初は咽喉が痛くなり(水〜日)、次に鼻水が出だして(金〜日)、咳が出だして(土〜日)、腹の調子がおかしくなり出した(土〜日)。熱はなかった。日本犯罪心理学会大会時だったので、咳が出るたびに会場を出て行った。
 葛根湯を飲み、ビオフェルミンと胃腸薬を飲み、咳止めトローチをなめながらの5日間だった。(1840)
posted by 矢島正見 at 11:48| 我流雑筆

2015年09月19日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その30

 降伏に至るまで長すぎた。硫黄島玉砕で止めていればよかったのだが、無条件降伏を受諾する機会は未だ熟していなかったようだ。
 日本はポツダム宣言から慌て出した。そしてロシアの参戦が決定的となった。
 しかし、ぎりぎりの時点で「間に合った」。あとひと月降伏が遅れていたら、北海道はロシアの領土となっていたであろう。
 また、何よりもよかったのは、国民が終戦派と抗戦派とに二分化しなかったことだ。天皇の玉音放送が最大の効果を発揮した。阿南陸相の割腹自殺も、陸軍の組織だった反乱を抑えたのかもしれない。
 ヨーロッパの二分化、朝鮮半島の二分化、中国の内戦というなかにあって、日本は分裂を免れた。不幸中の幸いであった。(1839)
posted by 矢島正見 at 13:58| 我流雑筆

2015年09月17日

8月の酒量報告(8月1日〜31日)

 酒量を日本酒に換算して、◎…3合以上、○…1合以上3合未満、△…1合未満、×…無飲酒。
 1日…○、2日…○、3日…○、4日…△、5日…○、6日…○、7日…○、8日…◎、9日…◎、10日…○、11日…○、12日…○、13日…△、14日…○、15日…○、16日…◎、17日…○、18日…◎、19日…○、20日…◎、21日…○、22日…◎、23日…〇、24日…〇、25日…〇、26日…○、27日…○、28日…◎、29日…◎、30日…○、31日…○。
 以上、◎…8日、○…21日、△…2日、×…0日。
 ◎を3点、○を2点、△を1点、×を0点としての、ひと月の合計点は68点であった。
 猛暑で体調を崩し、冷房で体調を崩した。特に冷房の風が直接肌に触れると体調がおかしくなる。(1838)
posted by 矢島正見 at 11:36| 我流雑筆

8月のご報告(8月1日〜31日)

○学内活動…社会問題ミニレポート採点、社会調査試験採点、社会調査実習査読・採点、成績WEB入力。大学雑務。
○学外活動…『青少年問題』原稿読。一般財団法人青少年問題研究会全体会・編集会議。東京都生活安全局調査原案作成。
○研究活動…「日本における生活機能障害アプローチ社会病理学の系譜」…「第2章」「第3章」「第4章」「第5章」「第6章」執筆。図書文献調べ。「『青少年問題』の60年」(その182)(その183)(その184)(その185)(その186)執筆。
○読書…研究目的以外で読んだのは『世界の戦争史(上)』。
○私的活動・出来事…孫・孫・孫・孫のお泊り。兄・兄嫁・姪・姪の子・甥・甥の子二人・子二人・子の嫁二人・孫四人・妻・私の計17人のお盆。タカオクリニック。病院(検査)(1837)
posted by 矢島正見 at 11:35| 我流雑筆

2015年09月15日

185000回

 14日昼ごろ、ある学生が185001回をヒットさせた。その学生は悔しがっていた。
 185000回をヒットさせたのは女房。まあ、近場の安呑み屋で、安い酒でもおごるとするか。
次の19万回はおよそ1年後。(1836)
posted by 矢島正見 at 12:32| 我流雑筆

2015年09月08日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その29

 敗戦の自虐史観も、勝戦の傲慢史観も、もしかすると同じ根でつながっているのかもしれない。
 日本人は、客観的・体系的・全体的思考性が弱く、心情的精神性と私的体験性で物事を思考し、個人的な想いで過去を総括し、直近の戦史しか顧みることなく、ときに傲慢となり、ときに卑下する国民性なのかもしれない。
 こうして、〈戦争に勝った時の躁状態の傲慢さ〉と〈戦争に負けた時のうつ状態の自虐さ〉が表出されてくるのかもしれない。(1835)
posted by 矢島正見 at 13:20| 我流雑筆

2015年09月06日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その28

 しかし、日露戦争の時のアメリカのような、どこの国が終戦の調停役となるのか。強硬派のいう「ソビエト」は、外交派では論外の国であり、強硬派ですら疑心暗鬼であった。
 満州を強引に建国させて属国化した日本に好意的な国などない。日独伊の三国同盟があるにもかかわらず、日本だけ終戦協定したい、なんて都合のよい終戦調停役を買って出る国があるわけない。しかも、調停をする国は連合軍にも顔が利くほどの政治力のある国でなくてはならない。第二次世界大戦でそんな国は一つとしてない。
 その日独伊の三国同盟は、ドイツ・イタリアがヨーロッパで勝利を収めるという大前提での協定であり、これほど不安定な協定はない。
 一か八かの戦争はもちろんのこと、終戦への確たるシナリオなき戦争はもっともしてはならない戦争である。一年ほど戦争して、有利な立場を維持し、終戦調停に持ち込むなどというシナリオ自体が非現実だったのである。
 にもかかわらず、こうした道を選ばせたのは、再度いうとおり、幕末・維新革命の勝利とその結果としての無反省、日清・日露戦争の勝利とその結果としての無反省のたどり着いた、〈戦争に勝った時の躁状態の傲慢な道〉だったのである。(1834)
posted by 矢島正見 at 13:07| 我流雑筆

2015年09月05日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その27

 強硬派も外交派も、ともに決して馬鹿ではなかった。状況分析においては、ほぼ同一だった、という。
 現戦力では、米10に対して日本は7。それが3年後には生産力・資源力の差から米10−日本5となる。5年後には米10−日本3となる。こうなっては到底勝てない。
 ここまでの認識では両者同じだった、という。しかし、外交派は、それ故に戦争回避に向かった。強硬派は戦うのは今しかないと、短期決戦に向かった。(1833)
posted by 矢島正見 at 11:03| 我流雑筆

2015年09月04日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その26(再開)

 目立って日本の外交戦略がおかしくなったのは、ここからである。
 軍備拡張派・対外強硬派が主流となっていく。軍縮派・外交派は左遷され、予備役に回され、軍の中枢から撤退していく。そしていつしか統合本部が海軍省よりも権力をもつようになる。
 大陸では関東軍が勝手に動き出し、国内ではテロが横行する。戦争への道である。
 幕末・維新革命時から続いた「尊皇攘夷」思想の形を変えての復活である。「現人神(あらひとがみ)」信仰であり「鬼畜米英」観である。
 日露戦争終結後、わずか25年のことである。(1832)
posted by 矢島正見 at 10:59| 我流雑筆

2015年09月01日

9月

 いつのまにか8月が終わり、9月になりました。次はいつのまにか10月になっていることでしょう。(1831)
posted by 矢島正見 at 12:48| 我流雑筆