2015年08月04日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その24

 加藤友三郎という一般的にはあまり聞かれない人物が登場する。ワシントン軍縮会議の立役者である。米・英・日の五対五対三の軍縮を受け入れた日本海軍軍人である。山本権兵衛の後継者と言ってよいであろう。
 画期的な政治判断であった。日本は米・英の提案に屈したのではなかった。加藤は五対五対三を賛成をもって受け入れた。
 このままの軍備拡張競争をしていたら、日本の財政が破綻することは明白なことであった。米英と日本とでは生産力・経済力に差がありすぎた。差があるのならば、その差に見合った割合の軍備でよい。七割軍備を六割軍備とする、ただそれだけのことであり、米英が抱く日本の軍備拡張の懸念を払しょくさせることができるのであれば、日本にとっては一石二鳥である。
 加藤はこう読んでいた。しかし、マスコミも国民も加藤を酷評した。この酷評を背景に強硬派が台頭しだす。マスコミと国民の支持のもと、外交派を糾弾しだす。その糾弾をマスコミと国民は正義の意見として賛美する。
 しかし、このまま加藤体制が続き、加藤の後継者が続々と登場していればよかったのだが、そのときすでに加藤友三郎は癌にかかっいて、療養を余儀なくされていた。そしてまもなく死んだ。(1812)
posted by 矢島正見 at 13:56| 我流雑筆