2015年08月01日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その23

 幕末の革命で、若い革命家が政治と軍事の中心を担ったのが、かえって間違った教訓を歴史の中に植え付けてしまったようだ。大正時代、幕末の志士気取りの若い政治家や軍人が多出してしまった。
 幕末当時は、平和ボケで体制維持の保守的官僚長老と、同じく平和ボケで井の中の蛙思考の古代復古的イデオロギー長老の対立的支配体制であったからこそ、若い活動家が政治の実権を握る必要性があったのだ。
 実際、「尊皇攘夷」などというのは、歴史の大きな流れから出たキャッチコピーであり、現実の政治判断は別であった。「尊皇攘夷イデオロギー」の過激的感情的志士たちは、殺戮用戦闘用人材としては重宝したが、実権を握ったのは「尊皇攘夷イデオロギー」をうまく利用した開国主義西欧思想国際派の人たちだった。
 西欧列強の一角として台頭した明治末から大正にかけての時代では、日本は世界情勢を適確に読んでの狡猾とも言える駆け引きに長じた国際的な中堅実力者に任せる時代であった。既に、革命志士的情熱は無用の時代だったのだ。
 歴史の反省とは、(失敗したら)同じことを繰り返すな、(成功したら)同じことをおこなえ、という単純な教訓ではなく、過去の時代と今の時代を冷静に比較分析することである。(1810)
posted by 矢島正見 at 11:35| 我流雑筆