2015年08月08日

7月のご報告(7月1日〜31日)

○学内活動…大学学部授業(社会調査、社会問題、調査実習、社会学演習)、大学院授業(逸脱の社会学)。学部前期試験。教育実習生指導。研究室会議、教授会、大学院会。人事選考委員会。博士論文構想発表会。エスパルザ氏講演会。図書調べ。
○学外活動…一般財団法人青少年問題研究会全体会・ご挨拶廻り。『青少年問題』原稿読。東京都生活安全局慰労会、東京都生活安全局調査打合せ。お隣財団との親睦飲み会。
○読む…研究目的で読んだ以外は無し。
○書く…「日本における生活機能障害アプローチ社会病理学の系譜」執筆…「序章」「第1章」「第2章」の途中まで。「『青少年問題』の60年」(その181)。
○私的活動・出来事…柳・福・高・道・裕・美・虎・文と飲食会。孫・お預かり。孫・ピアノ発表会。(1815)
posted by 矢島正見 at 10:59| 我流雑筆

2015年08月07日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その25

 老兵は語らず、という教訓を打ち破ったのが、未だ生きていた東郷平八郎であった。東郷は五対五対三の軍縮を受け入れたことに激怒し、大反対の発言をする。神格化された人物の発言は、軍人のみならず国民への影響も大であった。
 東郷は戦術家であり、戦略家ではない。戦争は生産力、資源力、財力、技術力、外交力、兵力、民力の総合であり、その総合から導き出される中長期の対外的駆け引きが戦略であり、兵力・軍事力から戦場の状況に応じて導き出されるのが戦術である。
 所詮東郷は戦術家であるにすぎないのに、神格化されてしまった彼は、彼自身戦略の能力がさほどないのをボケて忘れたか、害のある存在と化してしまった。乃木将軍のように自害していたほうが、日本史としてはよかった。(1814)
posted by 矢島正見 at 10:55| 我流雑筆

2015年08月06日

続論文執筆

「日本における生活機能障害アプローチ社会病理学の系譜(仮)」。第2章を書き終えた。この章だけで、400字詰原稿用紙にして180枚ほどになってしまった。序章と第1章と第2章で280枚である。(1813)
posted by 矢島正見 at 13:42| 我流雑筆

2015年08月04日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その24

 加藤友三郎という一般的にはあまり聞かれない人物が登場する。ワシントン軍縮会議の立役者である。米・英・日の五対五対三の軍縮を受け入れた日本海軍軍人である。山本権兵衛の後継者と言ってよいであろう。
 画期的な政治判断であった。日本は米・英の提案に屈したのではなかった。加藤は五対五対三を賛成をもって受け入れた。
 このままの軍備拡張競争をしていたら、日本の財政が破綻することは明白なことであった。米英と日本とでは生産力・経済力に差がありすぎた。差があるのならば、その差に見合った割合の軍備でよい。七割軍備を六割軍備とする、ただそれだけのことであり、米英が抱く日本の軍備拡張の懸念を払しょくさせることができるのであれば、日本にとっては一石二鳥である。
 加藤はこう読んでいた。しかし、マスコミも国民も加藤を酷評した。この酷評を背景に強硬派が台頭しだす。マスコミと国民の支持のもと、外交派を糾弾しだす。その糾弾をマスコミと国民は正義の意見として賛美する。
 しかし、このまま加藤体制が続き、加藤の後継者が続々と登場していればよかったのだが、そのときすでに加藤友三郎は癌にかかっいて、療養を余儀なくされていた。そしてまもなく死んだ。(1812)
posted by 矢島正見 at 13:56| 我流雑筆

2015年08月02日

猛暑のお見舞い

 猛暑お見舞い申し上げます。
 暑中お見舞いも残暑お見舞いも、今年はそんなレベルではありません。猛暑お見舞いです。
 とにかく暑いです。「うだるような暑さ」と言いますが、「うだる」とは「ゆだる」と同じ。要するに湯だっているのです。
 お元気ですか。あまり頑張らないで、どうにか生きていてください。(1811)
posted by 矢島正見 at 13:17| 我流雑筆

2015年08月01日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その23

 幕末の革命で、若い革命家が政治と軍事の中心を担ったのが、かえって間違った教訓を歴史の中に植え付けてしまったようだ。大正時代、幕末の志士気取りの若い政治家や軍人が多出してしまった。
 幕末当時は、平和ボケで体制維持の保守的官僚長老と、同じく平和ボケで井の中の蛙思考の古代復古的イデオロギー長老の対立的支配体制であったからこそ、若い活動家が政治の実権を握る必要性があったのだ。
 実際、「尊皇攘夷」などというのは、歴史の大きな流れから出たキャッチコピーであり、現実の政治判断は別であった。「尊皇攘夷イデオロギー」の過激的感情的志士たちは、殺戮用戦闘用人材としては重宝したが、実権を握ったのは「尊皇攘夷イデオロギー」をうまく利用した開国主義西欧思想国際派の人たちだった。
 西欧列強の一角として台頭した明治末から大正にかけての時代では、日本は世界情勢を適確に読んでの狡猾とも言える駆け引きに長じた国際的な中堅実力者に任せる時代であった。既に、革命志士的情熱は無用の時代だったのだ。
 歴史の反省とは、(失敗したら)同じことを繰り返すな、(成功したら)同じことをおこなえ、という単純な教訓ではなく、過去の時代と今の時代を冷静に比較分析することである。(1810)
posted by 矢島正見 at 11:35| 我流雑筆