2015年07月14日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのP

 バルチック艦隊との日本海海戦は出来すぎである。
 作戦を立案した秋山真之ですら、疑心暗鬼となり、最終的には津軽海峡案になってしまっている。連合艦隊での作戦本部で最後の最後まで対馬海峡説を唱えたのはたった二人だという。
 あと二日、バルチック艦隊の来るのが遅かったら、日本海海戦はなかった。そして戦争は長期化し、日本が敗戦となったことは明白である。
 これが現実となったのが大東亜戦争(太平洋戦争)であった。日本は同じことを二度行ったまでのことである。ただし、柳の下のドジョウはそういるわけではない。
 国民は、太平洋戦争後は敗戦反省国民・戦争絶対反対国民と化したが、日露戦争後では勝戦無反省国民・戦争賛成国民と化していた。
 こうして、日本の歴史は、日露戦争の反省はまったくなく、太平洋戦争の反省はヒステリーなほどに過剰となった、という歴史をたどった。
 再度述べるが、太平洋戦争の敗戦の基をつくったのは日露戦争に勝った勝ったと湧きかえった日本国民である。
 朝鮮半島を属国化して湧き上がり、同様に、満州国を属国化して湧き上がり、満州に農地を求め(他国民の土地を無理やり奪い)、一獲千金を夢見た国民である。政治家も右翼も軍部もそうした世論を大いに利用した。(1801)
posted by 矢島正見 at 12:28| 我流雑筆