2015年07月04日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのL

 日清戦争であっても、日本は負けたかもしれない。勝敗は五部と五部。経済力・兵力は清国の方が勝っていた。技術力と士気では日本が勝っていた、と言えよう。
 6ヶ月という短期間で、日清戦争にあっけなく勝った日本は、国家の勢いが増大した。言い換えれば、反省無く高慢となった。政治家も軍人も、そしてそれ以上にマスコミと国民は、勝ったことを当然視するようになる。「今回は運が良かった、本来ならば負けたかもしれない」という反省はまったくない。勝戦国の無反省である。
 こうして国全体が、国民全体が日露戦争に向かっていった。山本権兵衛以下、海軍は無理に無理を重ねて、軍備の近代化を進めて行った。もちろん、陸軍も。(1794)
posted by 矢島正見 at 10:20| 我流雑筆

2015年07月03日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのK

 ロシア帝国の進出で、このままにしていては朝鮮半島のロシア支配はほぼ確実となる。これに対しての日本の本格的挑戦が始まった。朝鮮半島をどちらが支配するか、という対ロシア帝国戦略である。こうしたことを始めるほどに、ようやく日本は安定し始めたということである。
 こうして、ロシアとの朝鮮半島分捕り合戦が現実化してきていた。しかし、日本国内が安定化したとはいえ、現実的にはまだまだ海外進出は早すぎた。そのための生産力も技術力も財政基盤も不十分だったからである。
 にもかかよらず、対ロシアという時代状況は、強力な海軍を必要とさせた。海外への派兵、外国への覇権、そのためには海軍である。〈島国主義政策〉から〈海洋主義政策〉への大転換である。
 後に、アメリカが太平洋にその覇権を求めてきたとき、やはり強大な海軍を必要としたのと同じである。
 山本権兵衛はその時代状況に乗って近代海軍を創設させた。多額の国家財政を使ってでも実現させた。(1793)
posted by 矢島正見 at 00:04| 我流雑筆