2015年06月30日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのJ

 こうして海軍は山本権兵衛の時代を迎える。海軍きっての切れ者は、陸軍に比べ一段低い立場に置かれた海軍の存在を高めることに専念した。陸海対等の関係の構築である。
 これは功を奏し、海軍の予算は増加の一途をたどり、近代海軍が日露戦争直前に成立する。すなはち日本初の連合艦隊である。
 しかし、山本権兵衛の功績はあったであろうが、海軍の充実化は時代の必然であった。国内の反乱分子を平定し、国家の安定化が確立した後、いよいよ日本は本格的に海外に目を向け出したのである。具体的には台湾・朝鮮半島の支配である。(1792)
posted by 矢島正見 at 22:47| 我流雑筆

2015年06月29日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのI

 佐賀の乱、萩の乱、そして西南戦争へと至るに及んで、陸軍は増大されていく。しかも、反乱軍が薩・肥であったため、長州閥が日本国陸軍の中心となっていく。そして薩摩閥は海軍の中心となる。ここから陸軍長州、海軍薩摩という慣例の基礎が出来上がる。(1791)
posted by 矢島正見 at 11:28| 我流雑筆

2015年06月28日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのH

 ところが明治5年以降、陸軍省・海軍省ができるに及んで、陸軍が国軍の中心になっていった、という。ちなみに、明治6年に、徴兵令が布告されている。
 陸軍中心の国軍編成である。これもよくわかる。廃藩置県・武士階級の解体という大革命を断行したからだ。徳川幕府を倒した革命軍である藩兵を解散しただけでなく、彼らの身分を剥奪し、全員解雇としたわけだ。反乱分子の出現は必然。国内の秩序崩壊の危機である。
 こうして、国内反乱分子平定の、つまり国内秩序維持軍が最優先されていった次第である。政治的にこれは正しい選択であったと言わざるを得ない。(1790)
posted by 矢島正見 at 13:07| 我流雑筆

2015年06月27日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのG

 当初は、海軍中心の国軍であったという。当時、軍艦を外国から数艘買い入れただけで、島国にもかかわらず日本には海軍というものが存在しなかったのだから、海軍創設は早急の政治課題であった。しかも、薩英戦争・下関戦争でいかに海軍が必要かを痛感した武士たちが中心の維新政府である。
 したがって、まずは対外国の軍であり国家防衛軍である海軍を、ということだったのである。(1789)
posted by 矢島正見 at 09:43| 我流雑筆

2015年06月26日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのF

 明治政府成立直後、政府は国軍創設を急いだ。当然のことである。
 今までの討幕軍は薩長土肥等の各藩の寄せ集め兵である。討幕後は解散となり、政府には兵という存在が無くなってしまったからだ。
 とりあえず、薩長土の三藩の兵を徴収して親兵を編成するという、実にちんけな応急処置しかできない状況だった。(1788)
posted by 矢島正見 at 10:08| 我流雑筆

2015年06月23日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのE

 咸臨丸は快挙であった。長編テレビドラマ(とはいっても、3〜5時間程度のドラマ)があってもおかしくない。
 ここでは勝海舟が有名であるが、『日本海軍の興亡』を読んで今一人の人物を知った。木村摂津守喜毅。軍艦奉行であり、咸臨丸には司令官格として乗船。全私財をなげうって航海費を賄ったという。
 維新後は隠居生活を送った。「芥舟」と号し、維新の四舟の一人である。(1787)
posted by 矢島正見 at 14:06| 我流雑筆

2015年06月21日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのD

 勝海舟はたいした人物である。明治維新政府は彼の使い方が不十分であった。維新参議たちよりも年長であり、キャリヤもあり、知恵も廻る。大物すぎたのであろう。振り回される、という警戒心が先行したのではないか。
 ただ、坂本竜馬が生きて維新の参議になっていたら、海舟を活かしたかもしれない。さらに、西南の役もなかったかもしれない。江戸城無血開城の時のように、勝海舟と西郷隆盛が最後の会談をしたかもしれない。
 もっとも、他の参議たちは海舟の参議を嫌がったであろう。(1786)
posted by 矢島正見 at 22:11| 我流雑筆

2015年06月20日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのC

 ところが、三代将軍からおかしくなった。これは島原の乱が起因してのことではあるが、その慌てぶりは、もはや戦国武将のものではなく、官僚政治家たちの慌てぶりであった。
 体制維持・秩序維持を最大の課題としての国家体制の構築。三代将軍以降の政治はこの方向を明確に示した。〈島国主義政策〉の完成である。
 事件の反省が政治の方向を変えてしまったのである。(1785)
posted by 矢島正見 at 10:31| 我流雑筆

2015年06月18日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのB

 徳川初代・二代将軍までは、致し方ないことであった。
 スペインやポルトガルの貪欲にして残酷な帝国主義・侵略主義からの国家防衛策であったし、また、外様大名たちの〈海洋藩化〉阻止、つまり諸藩の海外進出・外国貿易への警戒ということでも納得いく。
 大海に乗り出す造船技術と航海術を持っていたにもかかわらず、禁止令によって、造船技術も航海術も失われていってしまうのである。
 しかしそれでも、初代・第二代までは、交易の価値を十分承知しており、害を排除しつつ益を得るという姿勢を保持していた。(1784)
posted by 矢島正見 at 23:09| 我流雑筆

2015年06月15日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」そのA

 林子平、天明6(1786)年に『海国兵談』を著す。既にこの頃から日本の近海は物騒になりつつあったということか。明治新政府成立より80年以上も前のことである。
 ちなみに、文政8(1825)年、幕府は外国船打払い令を出している。ようやく、幕府も海外からの危機を感じだしたということだ。しかし、幕府が本格的に危機意識を抱いたのは、アヘン戦争にて清国がイギリスに敗れた天保13(1842)年からのこと。
 実にのんびりとしている。天下泰平の時代に慣れた官僚行政の最たるものである。
 さて、幕府は『海国兵談』を発禁、林子平を投獄。ここに鎖国政策の最大の失敗を見いだせる。
 戦国時代から続く第三期の海洋国家になり出した日本を完全に方向転換させた政策のひとつが鎖国政策であったからだ。そして、その鎖国政策の根底にあった徳川幕府の〈島国主義政策〉こそが大きな問題だったのだ。
 こうして日本は「海洋国家」ではなく「島国国家」へと方向転換していく。言い換えれば、外向きの政治経済文化姿勢から内向きの政治経済文化姿勢に歴史は大きく転換したのである。(1783)
posted by 矢島正見 at 11:38| 我流雑筆

2015年06月14日

「『日本海軍の興亡』からの近代日本戦争史雑考」その@

 今、半藤一利『日本海軍の興亡―戦いに生きた男たちのドラマ―』(PHP文庫、1999年)を読んでいる。未だ第1章のみ読んだだけだが(5月17日現在)、なかなか面白い。
 筆者は専門の学者というわけではなく、週刊誌畑を歩んだ経歴だが、日本近代戦争史(主に日露戦争と太平洋戦争)の本はかなり書いている。
 「面白い」というのは、「正確なそして精確な知識が得られる」「論述構成や表現が読ませる」というだけでなく、「私自身のイマジネーションを湧き立たせる」からである。
 もちろん、私のイマジネーションなどというものも、所詮素人の浅知識・浅思考ではあるが、それ故に、私としては専門外での知的思考に湧き立つのである。
 以下は、『日本海軍の興亡』に触発されつつ、自由勝手に私が書いた雑文である。(1782)
posted by 矢島正見 at 16:58| 我流雑筆

2015年06月13日

5月の酒量報告(5月1日〜31日)

 酒量を日本酒に換算して、◎…3合以上、○…1合以上3合未満、△…1合未満、×…無飲酒。
 1日…○、2日…○、3日…○、4日…◎、5日…○、6日…○、7日…◎、8日…○、9日…○、10日…○、11日…○、12日…◎、13日…○、14日…○、15日…◎、16日…○、17日…○、18日…○、19日…○、20日…○、21日…○、22日…○、23日…◎、24日…×、25日…◎、26日…○、27日…○、28日…○、29日…○、30日…○、31日…◎。
 以上、◎…7日、○…23日、△…0日、×…1日。
 ◎を3点、○を2点、△を1点、×を0点としての、ひと月の合計点は67点であった。
 なお、本日は二日酔い。(1781)
posted by 矢島正見 at 11:05| 我流雑筆

5月のご報告(5月1日〜31日)

○学内活動…大学授業(社会調査、社会問題、調査実習、社会学演習)、大学院授業(逸脱の社会学)。学部・院授業準備。仏留学生奨学金面接。学外活動支援奨学金面接・審査。入試委員会。中大社会学会教員会合。研究室会議。教授会。大学院会。教育実習校への挨拶電話・メール。ゼミ論査読・個別指導。中央大学学員会。中央大学評議員会。人文研委員会。
○学外活動…社会福祉法人恵友会評議員会。一般財団法人青少年問題研究会全体会、会計監査、編集会議。一般財団法人青少年問題研究会理事会・評議員会資料・総会配布物点検。『青少年問題』原稿読。『青少年問題』校正。高原氏との編著書の出版打合せ。
○読む…『レファレンス―集団的自衛権』。『主命にござる』。『日本海軍の興亡』。『組長の娘』読。
○書く…「少年センターについて」。「日本における生活機能障害社会病理学の系譜」文献メモ作成。
○私的活動・出来事…F氏問題対応。あいか・たいよう・こうようお迎え。あいか・たいよう・こうようお泊り(4泊5日)。あいか・たいよう・こうよう保土ヶ谷公園。だいち・るみこお泊り(1泊2日)。三橋・杉浦・石田飲み会。タカオクリニック、浅井皮膚科。(1780)
posted by 矢島正見 at 11:04| 我流雑筆

2015年06月08日

無毛時代G

 考えてみると、霊長類のなかで体毛の無いのは人類だけである。これは人類がそれを求め続けた歴史的結果であろう。現在の全身脱毛は、そうした人類の要望の延長として捉えることができよう。
 また、髪の毛の長いのも他の霊長類にない特徴である。これも人類が求め続けてきた歴史的結果であり、今でもその歴史が続いているということである。
 今、「ムダ毛」と言われているが、もしかすると、数十万年前から人類は、無駄毛と感じていたのかもしれない。(1779)
posted by 矢島正見 at 22:43| 我流雑筆

2015年06月07日

無毛時代F

 ただし、髪の毛だけは異なる。これは無毛になることはまずない。頭髪の永久脱毛など、単なるハゲである。
 まつ毛も無くなることはない。長いまつげはやはり魅力的であろう。
 美容院で髪の毛を整え、エステサロンで陰毛を整える、そんな時代である。(1778)
posted by 矢島正見 at 12:08| 我流雑筆