2014年09月27日

短文

 ケータイやスマホの文章は比較的短い。次から次へと情報を提供するには、端的な文章のほうが良い。私の場合は特に、技術的に短くならざるを得ない。スマホで文字を打ち込むのは実にしんどいからである。
 思うに、こうした客観的条件が、日本で短文を生んだのではないだろうか。木簡や和紙に墨と筆で文を書くというのは、資源からみて、短文に限る。必要最低限の表記で済ます必要がある。飛鳥・奈良時代の官僚の記録はこうして短文となる。
 以下はあくまでも私の推察であるが、その短文が、記録のさほど必要性のない人びとの間では、感情表現の短文と化して、浸透していき、和歌が成立したのではないだろうか。
 明治以降は、電信・電報の文が短くなった。「敵艦見ユ 天気晴朗ナレド 波高シ」などは、まさに端的な文章である。電信という技術と官僚報告ということで成立した傑作である。
 現在では、ラインだとかツイッターで、名短文が続出してもおかしくはないのだが、私の知る限りでは、「サラリーマン川柳」程度である。(1665)
posted by 矢島正見 at 10:51| 我流雑筆

後期開始

 とうとう大学が始まってしまった。これから三月の末まで、超多忙の日々が待ち受けている。(1664)
posted by 矢島正見 at 10:48| 我流雑筆