2014年08月01日

厳罰化

 近年、犯罪学や刑事政策では「厳罰化」が問題となっている。確かに厳罰化は進行している。しかし、それは刑法や少年法といった次元だけではない。もっと巨大である。時代の集合感情が、ここ30年程前から徐々に厳罰化の方向に動き出し、ここ数年加速化している、ということである。
 体罰、いじめ、セクハラ・パワハラ・アカハラ、児童虐待、児童ポルノ、ドメスティック・バイオレンス、ストーカー、飲酒運転、薬物、強姦、痴漢、これらはすべて厳罰化の方向に向かっている。そしてそれらはさらに上位の概念として、「犯罪化」を示している。しかも、これらすべてが、犯罪化する前に「社会問題化」しているのである。
 〈当事者のクレイムメイキング⇒マスコミの騒ぎ立て⇒社会問題化⇒地方議会・国会での問題化⇒法制化・取締り強化⇒犯罪化⇒さらなる問題視・さらなる対応の要請⇒厳罰化〉という因果の流れ図が作成し得る。
 こうした現状は、教育の世界にも浸透している。大学の大学生に対してのまなざしは大きく変わった。「不正行為を行った学生の厳罰は社会的正義」「厳罰は教育の一環」という考え方が氾濫してきている。たばこ喫煙の厳格さだけでなく、20歳未満の大学生の飲酒に対しての処罰、とともに酒の場に同席していた教員に対しての処罰。カンニングは20歳未満で少年法により氏名の公開を認めていないにもかかわらず、キャンパス内に学籍番号と氏名を張り出す。これでは誰でもラインやツイッターに掲載できる。
 犯罪学・刑事政策領域では「反厳罰化」の研究者が、体罰やいじめ、強姦や痴漢、ハラスメント、飲酒運転では厳罰派となったり、キャンパス内での問題行動に対しては厳罰派であったりする。一貫性がないにもかかわらず、自覚していないか、それでよいと思っている。
 よって、厳罰化という大きな時代風潮は、一向に改まることはない。嘆かわしいことである。(1639)
posted by 矢島正見 at 11:44| 我流雑筆